『海辺のカフカ(上)(下)』村上春樹著を読んで

 上巻の第13章の中に

「つまり、簡単に言えば、ありきたりの基準ではものを考えないということだよ」  (p225)

というところがある。これは「大島さん」が「カフカ」に言った言葉であり、「佐伯さん」という人物が「ありきたりの基準」でものを考えないんだ、ということを「大島さん」が「カフカ」に説明をしているところである。
 こいうい考え方はとても大切であると思う。「ありきたりの基準」では何も新しいことは生まれない。時には失敗をすることもあるだろうが、「ありきたりの基準でものを考えない」ことで、すごく誰にもできないようなことをやってのけてしまうこともある。「ありきたりの基準」だけではだめだ。
 また、上巻の第17章の中に印象的な部分がある。

「僕がいつか図書館で君に話したことを覚えているかな?人はみんな自分の片割れを求めてさまよっているという話を」
「男男と女女と男女の話」
「そう。アリストパネスの話。僕らの大部分は自分の残り半分を必死に模索しながら、つたなく人生を送ることになる。しかし佐伯さんと彼にはすそんな模索をする必要もなかった。二人は生まれながらにして、まさにその相手をみつけていたんだ」  (p331)

というところだ。「アリストパネスの話」は私は始めて耳にしたが、なんとも興味深いものであった。神様が男男と女女と男女を二つに切り裂いてしまったとは。そして片割れを求めてさまよっている。とても現実的なものをどこかに私は感じてしまう。
 上巻の第19章におもしろいところがある。

「ゲイだろうが、レズビアンだろうが、ストレートだろうが、フェミニストだろうが、ファシストの豚だろうが、コミュニストだろうが、ハレ・クリシュナだろうがそんなことはべつにどうだっていい。どんな旗を揚げていようが、僕はまったくかまいはしない。僕が我慢できないのはそういううつろな連中なんだ。そういう人々を前にすると、僕は我慢できなくなってしまう。ついつい余計なことを口にしてしまう。さっきの場合だって適当に受け流して、あしらっておけばよかったんだ。あるいは佐伯さんを呼んできて、まかせてしまえばよかったんだ。彼女ならうまくにこやかに対処してくれる。ところが僕にはそれができない。言わなくてもいいことをやってしまう。自分が抑えきれない。それが僕の弱点なんだ。どうしてそれが弱点になるのかわかるかい?」
「想像力の足りない人をいちいち真剣に相手にしていたら、身体がいくつあっても足りない、ということ?」と僕は言う。
「そのとおり」と大島さんは言う。  (p385)

というところだ。「うつろな連中」はどこにもたくさんいるものだ。私もついつい真剣に相手をしてしまい、体力を消耗してしまう場面がある。なかなか適当にあしらうということは難しいものである。
 上巻の第20章の中に「ナカタさん」がヒッチハイクをする場面が登場する。その中でトラックの運転手との会話のやりとりの内容は、とてもおもしろいものが多かった。読みながら思わず吹いてしまうことがたびたびあった。
 下巻の中で印象的なところは次の部分である。

「田村カフカくん、あるいは世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいないんだ。求めていると思いこんでいるだけだ。すべては幻想だ。もしほんとうに自由を与えられたりしたら、たいていの人間は困り果ててしまうよ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ」
「大島さんも?」
「うん。僕も不自由が好きだ。むろんある程度までということだけどね」と大島さんは言う。「ジャン・ジャック・ルソーは人類が柵をつくるようになったときに文明が生まれたと定義している。まさに慧眼というべきだね。そのとおり、すべての文明は柵で仕切られて不自由さの産物なんだ。もっともオーストラリア大陸のアボリジニだけはべつだ。彼らは柵を持たない文明を17世紀まで維持していた。彼らは根っからの自由人だった。好きなときに好きなところに行って好きなことをすることができた。彼らの人生は文字どおり歩きまわることだった。歩きまわることは彼らが生きることの深いメタファーだった。イギリス人がやってきて家畜を入れるための柵をつくったとき、彼らはそれがなにを意味するのかをさっぱり理解できなかった。そしてその原理を理解できないまま、反社会的で危険な存在として荒野に追い払われた。だから君もできるだけ気をつけたほうがいい、田村カフカくん。結局のところこの世界では、高くて丈夫な柵をつくる人間が有効に生き残るんだ。それを否定すれば君は荒野に追われることになる。
(p190)

というところだ。「不自由が好き」ということはすべての人にいえると思う。ただ、その度合いが個人によって違うのかもしれないが。その度合いの低い人は「アボリジニ」のように追い払われてしまうのだろう。「高くて丈夫な柵」とはうまく表現したものだと私は思う。
 それにしても「大島さん」の言葉はとても共感できるものが多かった。また、「ナカタさん」というキャラクターも捨てがたいものがあった。そして「ジョニーウォーカー」の登場した場面は、読了後も強烈に私の頭の中に残っている。