『ノルウェイの森(上)(下)』村上春樹著を読んで

 この小説の中に

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。  (上p54)

という一節がある。生と死は別のものではなく生の延長線上にある、と言う風に私は勝ってに解釈をした。私は死というものはこういうものであると思う。けして終わりではないと思うからである。
 また、この小説の中に登場する「緑」の視点が好きだ。「緑」が自分のことを言っている一節に次のようなことがある。

「豊島区北大塚なんて学校中探したって私くらいしかいやしないわよ。おまけに親の職業欄にはこうあるの、<書店経営>ってね。おかげでクラスのみんなは私のことすごく珍しがってくれたわ。好きな本が好きなだけ読めていいわねえって。冗談じゃないわよ。みんなが考えてるのは紀伊国屋みたいな大型書店なのよ。あの人たち本屋っていうとああいうのしか想像できないのね。でもね、実物たるや惨めなものよ。小林書店。気の毒な小林書店。がらがら戸をあけると目の前にずらりと雑誌がならんでいるの。(中略)少し文庫本はあるけど、たいしたものないわよ。ミステリーとか、時代もの、風俗もの、そういうのしか売れないから。そして実用書。(中略)『戦争と平和』もないし、『性的人間』もないし、『ライ麦畑』もないの。それが小林書店。そんなものいったいどこがうらやましいっていうのよ?あなたうらやましい?  (上p128〜p130)

 このあと「僕」が「情景が目の前に浮かぶね」といっているが、読んでいる私にも「小林書店」の情景が浮かんできた。一昔前にどこの町にもあった本屋さんの情景だ。
 エリートの女の子が通う私立高校にいった「緑」のたいへんさを、おもしろおかしく「緑」が表現をしていて、とてもおもしろい部分だ。また、エリートたちが自分の家の「小林書店」を、うまく理解してもらえないいらだちがよくあらわされている。そこも面白い。
 「直子」が療養している施設を「レイコ」が説明している部分に次のようなところがある。

「ええ、もちろん万病に効くってわけでもないし、よくならないし、よくならない人も沢山いるわよ。でも、他では駄目だった人がずいぶんたくさんここでよくなって回復して出て行ったのよ。ここの一番良いところははね、みんなが助け合うことなの。みんな自分が不完全だということを知っているから、お互いを助け合おうとするの。他んところはそうじゃないのよ、残念ながら。(中略)私たちはお互いの鏡なの。そしてお医者は私たちの仲間なの。そばで私たちを見ていて何かが必要だなと思うと彼らはさっとやってきて私たちを助けてくれるけど、私たちもある場合には彼らを助けるの。というのはある場合には私たちの方が彼らより優れているからよ。(中略)だからここで私たちはみんな平等なの。患者もスタッフも、そしてあなたもよ。あなただってここにいる間は私達の一員なんだから、私はあなたを助けるし、あなたも私を助けるの」  (上P200〜p201)

 このような療養施設が理想的なものではないかと思った。本来の共同体はこういう仕組みではなかったのだろうか。
 「下巻」の中で「緑」の視点で面白いと感じた部分が2つある。ひとつめは

「そのとき思ったわ、私。こいつらみんなインチキだって。適当に偉そうな言葉ふりまわして、新入生の女の子を感心させて、スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ、あの人たち。そして四年生になったら髪の毛短くして三菱商事だのIBMだの富士銀行だのにさっさと就職して、マルクスなんて読んだこともないかわいい奥さんもらって子供にいやみったらしい凝った名前つけるのよ。何が産学共同体粉砕よ。おかしくって涙が出てくるわよ。他の新入生だってひどいわよ。みんな何もわかってないのにわかったような顔してへらへらしてるんだもの。そしてあとで私に言うのよ。あなた馬鹿ねえ、わかんなくたってハイハイそうですねって言ってりゃいいのよって。ね、もと頭に来たことあるんだけど聞いてくれる。」  (下P67)

という「緑」がフォーク関係のクラブの学生のことをいっている一節である。このへんのところで「緑」は自分は庶民であるということをとても強調している。なにか当時の大学にとてもいそうな学生であるように思った。また、この後で税務署員のことを批判している部分があるが、これもとっても面白いところであった。
 ふたつめは「緑」が自分の親戚の人のことを言っている次の部分だ。

「親戚の人が見舞いに来てくれて一緒にここでごはんを食べるでしょ、するとみんなやはり半分くらい残すのよ、あなたと同じように。でね、私がペロッと食べちゃうと『ミドリちゃんは元気でいいわねぇ。あたしなんか胸いっぱいでごはん食べられないわと』って言うの。でもね、看病しているのはこの私なのよ。冗談じゃないわよ。他の人はたまに来て同情するだけじゃない。ウンコの世話したり痰をとったり体拭いてあげたりするのはこの私なのよ。同情するだけでウンコがかたづくんなら、私みんなの五十倍くらい同情しちゃうわよ。それなのに私がごはんを全部食べるとみんな私のことを非難がましい目で見て『ミドリちゃんは元気でいいわねえ』だもの。みんなは私のことを荷車引いてるロバか何かみたいに思ってるのかしら。いい年をした人たちなのにどうしてみんな世の中のしくみってものがわかんないのかしら、あの人たち?口でなんてなんとでも言えるのよ。(中略)おまけに貯えはだんだん乏しくなってくるし、私だってあと三年半大学に通えるかどうかもわかんないし、お姉さんだってこんあ状態じゃ結婚式だってあげられないし」  (下p82〜p83)

 これはよくあることだし、ありそうなことだ。
 「緑」が「僕」に書いた手紙の内容(下p211〜p213)がとても面白い。よくある男女間のすれ違いみたいなものがよく表現さている。特に次のところがドキッとするものがある。

あなたはいつも自分の世界に閉じこもっていて、私がこんこん、、ワタナベ君、こんこんとノックしてもちょっと目を上げるだけで、またすぐもとに戻ってしまうみたいです。  (下p213)

 というように「緑」の言葉がとても印象に残る作品であった。「直子」は直子で魅力のある女性であったが、どうしても「緑」のほうに注目がいってしまうような感じであった。
 来年には文庫本の帯にも書いてあったのだが、「トラン・アン・ユン」監督、「松山ケンイチ」に「菊地凛子」と「水原希子」主演で映画化されるそうだ。映画化されたらすぐに観にいこうと思う。
 また、てこの小説の中のエンディングではビートルズの「ノルウェイの森」が私の頭の中で自然に聞こえてきた。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

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ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

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