「忘れられた日本人」宮本常一著を読んで
さて年賀状代わりに、最近読んで面白かった本を少しならべておきます
梅田さんが読んで面白かった本を紹介していたので、その中から宮本常一さんの「忘れられた日本人」を読んでみた。その感想と気になったところを書いてみることにする。
対馬にて (p11)
1 寄りあい (p11)
こうした話を細々と書いたのは、昔の村の姿がどのようなものであったか、村の伝承がどのような場で、どんな時に必要であったか、昔のしきたりを語りあうということがどういう意味をもっていたかということを具体的に知っていただきたいためであった。
日本中の村がこのようであったとはいわぬ。がすくなくも京都、大阪から西の村々には、こうした村寄りあいが古くからおこなわれ来ており、そういう会合では郷士も百姓も区別はなかったようである。 (p19)
2日も3日も夜通し寄りあいをして、村のいろいろなことを決めたらしい。しかも、郷士や百姓の区別もなくである。
村の寄りあい (p36)
1 (p36)
「皆さん、とにかく誰もいないところで、たった一人暗夜に胸に手をおいて、私は少しも悪いことはしておらん。私の親も正しかった。祖父も正しかった。私の家の土地はすこしの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきりいいきれる人がありましたら申し出てください」といった。するといままで強く自己主張をしていた人がみんな口をつぐんでしまった。 (p37〜p38)
少なからず誰しも悪いことを少々やってはいるのであろう。なかなかの名言ともいえる。
名倉談義 (p59)
3 その3 (p91)
うちかけを着ることもなく、振袖を着たのは原田村長の娘の嫁入りの時くらいでありましたろう。一般の人では、医者の東現堂の旦那が嫁をもらったとき、うちかけを着たのがはじめで、村中の評判になり、それから三日目の里がえりに人力車にのったというて、これが評判になりました。
それからぼつぼつみんながそいうことをまねるようになったのであります。大正時代からのことであります。 (p99)
結婚式らしきものがはじまり、家の格式とかで親が遠い村から結婚相手を探してきたのは大正時代のころからだそうである。その前は自分の好きな村の中の相手と自由に結婚ができたそうだ。明治時代が自由恋愛であったなど、ついぞ知らなかった。
子供をさがす (p100)
この話は周防大島の小さい農村での話しである。誰かにどこへさがしにいけ、とも指示されずに村人が協力しあって自然といなくなった子供をさがしにいく話だが、普段その子供がいきそうなところを村人のひとりひとりが知っていることが素晴らしいと思った。また、こういう共同体が理想であると作者が言っているような気がする。
女の世間 (p105)
女はまた、共同体の中で大きな紐帯をなしていたが、それは共同体の一員であるまえに女としての世間を持ち、そこではなしあい助けあっていた。(p105)
女の世間について書いた話である。その当時の女の様子がうかがえとても面白かった。この中に早乙女という言葉がでてくる。その意味は「田植えをする女」である。
土佐源氏 (p131)
1 (p131)
この中に「木挽」という言葉がでくるが、これは「大鋸(おが)を用いて製材にあたる職人」のこととである。また、「ばくろう」という言葉もでてくるがこれは「馬の売買人。売買行為」という意味である。
2 (p137)
それにまアばくろうのうそは、うそが通用したもんじゃ。とにかくすこしべえぼう(ぐうたら)な百姓の飼うたしようもない牛を、かっせいな(よく稼ぐ)百姓ところへひいていって押しつけて来ても、相手が美事な牛にするんじゃから、相手もあんまりだまされたとは思っておらん。うそがまことで通る世の中があるもんじゃ。
そりゃのう、根っからわるい牛は持って行けん。十が十までうそのつけるもんじゃアない。まアうそが勝つといっても三分のまことはある。それを百姓が、八分九分のまことにしてくれる。それでうそつきも世がわたれたのじゃ。 (p141)
うそつきと言ってしまえばそれまでだが、育てる農家を変えるだけで、牛がよくなるのであればそれはそれでいいのではないかと思う。
3 (p141)
それに村の中へはいれば村には村のおきてがあって、それにしたがわねばならん。村のおきてはきびしいもんで、目にあまることをすれば八分(村八分)になる。 (p144)
村八分とは村から仲間はずれになるようなことと思っていたが、ある種おきてを破ったものへのペナルティーであったのではないかと、この著書を読んで考えなおした。楮(p145)という言葉がでてくるが、和紙の原料になる植物の名称である。
5 (p149)
庄屋という言葉がでてくるが、「江戸時代に領主に命じられ年貢の徴収などを扱った者。西国での称。東国は名主」のことである。
この「土佐源氏」は「ばくろう」を職業として生きてきた男の話である。ある意味面白い話であると思う。
私の祖父 (p193)
どこにおっても、何をしておっても、自分がわるい事をしておらねば、みんなたすけてくれるもんじゃ。日ぐれに一人で山道をもどって来ると、たいてい山の神様がまもってついて来てくれるもんじゃ。ホイッホイッというような声をたててな。」小さい時からきかされた祖父のこの言葉はそのまま信じられて、その後どんな夜更けの山道をあるいても苦にならなかったのである。 (p203〜p204)
これは宮本さんの祖父の言葉である。私もこれににた話は、誰から聞いたかは忘れたが、聞いた憶えがある。すばらしい考え方であると思う。
小さい時何かの拍子にチンコのさきがはれることがあった。すると祖父は「みみずに小便をしたな」といって、畑からみみずをほり出して、それをていねいにあらって、また畑へかえしてやった。「野っ原で小便するときにはかならず「よってござれ」といってするものぞ」とおしえられた。小学校を出る頃までは立小便ををするとき、ついこの言葉が口から出たものである。それも大てい溝のようなところへする習慣がついていた。
「みみずというものは気の毒なもので眼が見えぬ。親に不孝をしたためにはだかで土の中へおいやられたがきれい好きなので小便をかけられるのが一番つらい。夜になってジーッとないているのは、ここにいるとしらしているのじゃ」とよくはなしてくれた。春から夏へかけて、どこともなくジーッという声が宵やみの中からきこえて来る。それがオケラの声だとはずっと後に知ったのだが、それまでは不孝なこの動物のために深い哀りんの情を覚えたものである。
(p205〜p206)
みみずに小便をかけてはいけないという話は、私も親からきかされた。でも宮本さんの祖父の話は、小さい生き物でも大事にするという意味あいが含まれていると思う。小便をするときに、みみずに向かってよけてくれとは、あったかい話である。
世間のつきあい、あるいは世間態というようなものであったが、はたで見ていてどうも人の邪魔をしないということが一番大事な事のようである。世間態をやかましくいったり、家格をやかましくいうのは、われわれの家よりももう一まわり上にいる、村の支配層の中に見られるように見える。 (p209)
と宮本さんは述べている。現代では支配層以外も家格をやかましくいっているが、これはちょっと違うことなのであると考えていいのだろう。「人の邪魔をしない」ということが大切であるということを宮本さんから教えていただいたような気がする。
世間師(1) (p214)
1 (p215)
この中に「浜子」という言葉がでてくるが、これは「瀬戸田で栄えた塩田で働いていた人たちの呼び名」のことである。
文字をもつ伝承者(1) (p260)
ところが文字を知っている者はよく時計を見る。「今何時か」ときく。昼になれば台所へも声をかけて見る。すでに二十四時間を意識し、それにのって生活をし、どこかに時間にしばられた生活がはじまっている。
つぎに文字を解するものはいつも広い世間と自分の村を対比して物を見ようとしている。と同時に外から得た知識を村へ入れようとするとき皆深い責任感を持っている。それがもたらす効果のまえに悪い影響について考える。 (p270〜p271)
文字に縁のうすい人たちが自分をまもり、自分のしなければならない事は誠実にはたし、隣人を愛し、底ぬけに明るいところをもっており、時間の観念に乏しいということに対し、宮本さんが述べたことである。現代は文字を知っているものが圧倒的に多くなった。そのために、文字に縁のうすい人たちの誠実さ、底ぬけに明るいところ、隣人を愛すことがたくさん失われていっているのかもしれない。ちょっとよくわからないのだが。
文字をもつ伝承者(2) (p282)
この中で気になった人物と正確に理解できない言葉があったので調べてみた。
柳田國男
「日本民俗学」という学問を確立。「遠野物語」「海上の道」などの著書がある。
ゲートル
西洋風の脚半(人体のすねの部分に巻かれる布等)。
山伏
山野に起き伏して仏道修行に励む僧。
民間のすぐれた伝承者が文字をもってくると、こうして単なる古いことを伝承して、これを後世に伝えようとするだけではなく、自分たちの生活をよりよくしようとする努力が、人一倍つよくなるのが共通した現象であり、その中には農民としての素朴でエネルギッシュな明るさが生きている。
そうしてこういう人たちを中軸にして戦争以前の村は前進していったのである。 (p303)
村がこのことにより、よりよくなっていったのであると思う。
あとがき (p304)
私のいちばん知りたいことは今日の文化をきずきあげて来た生産者のエネルギーというものが、どういう人間関係や環境の中から生れ出て来たかということである。 (p309)
もっと宮本常一さんのこういう作品を読んでいこうと思う。
- 作者: 宮本常一
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