『塩の道』宮本常一著を読んで
1 塩の道
おもしろい話がありまして、野宿する時には、石などを投げてそれが落ちた範囲を今晩一晩貸してくだされと山の神さまにお願いをして、それから牛を輪に寝させて、一晩そこで火を焚きながら夜を明かす。 (p49)
馬子たちが野宿をする様子を描いたものであるが、「石をなげて落ちた範囲」を借りるという行動がとても面白い。
大和の山中の人たちなども、塩イワシを買ってくると、けっして煮ないで必ず焼きます。煮たら塩が散ってしまうからです。焼いた日はまず舐める。次の日に頭を食べ、その次の日は胴体を食べ、そして次の日は尻尾を食べるというように、一尾のイワシを食べるのに四日かけるのです。それほど塩というものは、山中では貴重なものでした。 (p72)
今ではここまで塩が高価なものではない。できるだけ塩を落とし食べているのだ。ここまで貴重のものであることにとても驚く。
なぜニガリを取るのかというと、じつはニガリがないと豆腐ができないのです。大豆の蛋白を凝固させるのはニガリですから、山の中の人たちが豆腐を食べることができたというのは、このニガリがあったからで、それをわざわざ別に金を出して買うのではなくて、少し質の悪い塩を買うことによってニガリを得たということです。 (p75)
質の悪い塩を買いニガリを得たということ、人間の知恵であると宮本常一を述べている。この知恵というもの、素晴らしいことであると思う。
2 日本人と食べもの
このようにして、日本のいたるところに広大なクリ山があったのです。そのクリ山が姿を消したのは明治三十年代からです。どうしてそのクリが消えていったのかといいますと、鉄道の枕木にクリを使った。いたるところでクリの伐採を始めます。そうして、われわれの目の前からクリ山が消えてしまったのです。 (p101)
枕木がクリの木でできていたとは初めて知った。クリ山がどんなものであったか見てみたいものだ。
3 暮らしの形と美
ですから日本人というのは、けっしてただ古いことのあとだけを追っていたのではなくて、それを取り入れて、そのうえに自分の生活を打ち立てていくうえの大事なくふうをたえず繰り返してきたのだということを、そのなかから読み取ることができるように思うのです。
目立たないところで、目立たないかたちでそれを成しとげていった。それはさきほど言いましたように、古い文化を背負ってこの国土にやってきて、寒い思いをしながら、やがて豊かな生活へ切りかえていく、長いくふうの歴史であったという感じを深くするのです。
そして、しかし、それはたんにわれわれだけではなくて、われわれの周囲にいる民族も同じように、その環境の中で文化をつくりあげていっていたはずです。そこに中国の文化と日本の文化、あるいは朝鮮の文化の差が見られるのであって、そのいずれが遅れ、いずれが進んでいるというようなものでないということを、近ごろいろいろ思い知らされています。
しかし、われわれが過去から現在にいたるまで努力しつづけてきた、この生活を豊かにするためのくふう、これは再評価していいものではなかろうかということを、いま、しみじみ思い知らされているのであります。 (p204〜p205)
これは昭和五十六年に出版された著作の中で述べられて言葉である。特に「生活を豊かにするためのくふう」を再評価するということ。ここが大切なのではないかと思う。
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