『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』佐野眞一著を読んで

 第3章「渋沢家の方へ」の中に

大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中にこそ大切なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分の本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ。  (p88)

という渋沢敬三の言葉がある。
おうおうにして人は他人にケチをつけたがり邪魔をしたがるものだ。こういうことはつつましなければなるまい。
 第6章「偉大なるパトロン」の中に

銀行屋というものは、小学校の先生みたいなものです。いい仕事をしてだんだん成長した姿をみて、うれしく思うというものが、本当の銀行屋だと思いますね。えらくなのは生徒です。先生じゃない。 (p160)

という言葉がある。これは敬三が銀行の仕事というものについて述べたものである。なんとも心にしみいる言葉であると思う。
 また、敬三はこいうことも言っている。

いろいろあるね。まずその土地の上流に属するものなら、たいてい宴会場へ案内してくれる。その時芸者がでる。その芸者が何となく近寄っていって心おきなく話していれば、それはたいていいい人だ。女が寄りつかなったり、女にふざけたりしている人は警戒すべきだ。 (p162〜163)

人が本物か見せかけだけの人か見分ける方法について敬三が答えた言葉である理にかなった見方であると思う。私はなるほどと思った。
 第10章「ニコ没の孤影」の中に

ニコニコしながら没落していけばいい。いざとなったら元の深谷の百姓に戻ればいい。  (p272)

という言葉がある。
 深谷は祖父栄一の出身地を指していたそうである。なんとも器の大きい人である。
 第12章「八学会連合」の中に富五郎が話した次のような言葉がある

人間ちうものは知恵のあるもんで、思案の末に大けえ石をのけることを考えついたわいの。潮がひいて海の浅うなったとき、石のそばへ船をニはいつける。船と船との間へ丸太をわたして元気のええものが、藤蔓でつくった大けな縄を持ってもぐって石へかける。そしてその縄を船にわたした丸太にくくる。潮がみちてくると船が浮いてくるから、石もひとりでに海の中へ宙に浮きやしょう。そうすると船を沖へ漕ぎ出して石を深いところへおとす。船が二はいで一潮に石が一つしか運べん。  (p328)

というように港を30年かけて造った話が登場する。
 そして

やっぱり世の中で一番えらいのが人間のようでごいす。  (p328)

と富五郎が続ける。
 我々の先人はとてもすばらしい。
この富五郎は第13章「対馬にて」の中ででてくるが「せいをつける人」「やおやおとした人」といわれていた。

せいをつけるとは、人々を励ますという意味で、漁がへっても富五郎はいまに必らずもりかえす、と口ぐせのようにいっていたそうです。やおやおとは、ソフトな口ぶりのことで、これも富五郎の人柄をよく表していると思いました。  (p333)

富五郎という人物の人柄はすばらしい。
 第15章「角栄の弔辞」の中に

民主主義はアメリカの専売特許ではなく、日本にも昔から民主主義はあった、その典型が漁村だ、日本の漁村には男も女も敬語がないし、だいいち海には国境がない、ということが、きわめてやさしい言葉で書かれていた。  (p393)

ということが述べられている。これは『海をひらいた人々』という本に書かれていた内容だそうだ。
 漁村が民主主義だとはとても衝撃的な内容だ。
 また、15章の中で香月洋一郎宮本常一のことを次のように述べている。

古い民具が家のどこにあるかを一番よく知っているのは家庭の主婦です。ところが彼女らはその使い方を知らない。知っているのは老人です。けれど老人にはそれを運搬する体力はない。やはり若者に運んでもらわなければならない。つまり、民具を集めるということは、老若男女の力を結集するということです。
宮本先生は、ただ民具を持ってくるだけならば骨董屋と同じだ、人の力を結集することによって沈滞した村に活力と自身を与えることができる、といつもいってました。地域に博物館をつくることは、眠っている地域のコネクションを立ちあがらせることにつながる、というのが先生の考えでした。  (p400)

なんとも素晴らしい考え方であると私は思う。
 著者は15章の中で

宮本は東京への一極集中が、明治維新によって没落した士族の立身出世をにらんだ教育投資によって牽引されてきたことを、すでにこの時点で指摘していた。  (p402)

と述べている。宮本常一の先見の目はすごい。
 第16章「長い道」の中に

長い道だ。はてしない道だ。ずっと昔から歩き、何代も何代も歩き、今も歩き、これからさきもあるいていく。それが人の生
きる道だ。後ずさりのない道だ。前だけあるいていく道だ。
歩くことに後悔したり、歩く事を拒否したり、仲間からはずれても、時は、人生は待ってくれない。時にしたがい、時にそれをこえていく。そして倒れるまであるく。後からきたものがわたしたちのあるいた先を力づよくあるいて行けるような道をつくっておこう。

という宮本常一の言葉がある。一番印象に残った言葉である。

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)

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