「ダンス・ダンス・ダンス(上)(下)」村上春樹著を読んで

 「ダンス・ダンス・ダンス(上)(下)」村上春樹著を読んでの感想及び気になったところを書いてみようと思う。
ダンス・ダンス・ダンス(上)」
 「4」の中に

それで僕は無駄というものは、高度資本主義社会における最大の美徳なのだと彼に教えてやった。日本がアメリカからファントム・ジェットを買って、スクランブルをやって無駄に燃料を消費することによって、世界の経済がそのぶん余計に回転し、その回転によって資本主義は高度になっていくのだ。もしみんなが無駄というのを一切生み出さなくなったら、大恐慌が起こって世界の経済は無茶苦茶になってしまうだろう。無駄というものは矛盾を引き起こす燃料であり、矛盾が経済を活性化し、活性化がまた無駄を作りだすのだ、と。  (p57)

というところがある。「高度資本主義社会」のことを話しているが、まんざら的はずれなことを言ってはいないと思う。
 「6」の中に「中古のスバル」がでてくるが、とても懐かしい。
 「7」の中に「ホテルの精」という言葉がでてくる。(p112)これがいい。また、同じ「7」の中に

三十四で、離婚経験があって、文章を書く半端仕事をして生計を立てている。スバルの中古に乗っている。中古だけれど、カー・ステレオとエアコンがついている。  (p113)

というとろがある。主人公の僕の自己紹介だが、よくいそうな経歴と職業であり、p138にでてくる男とは正反対な人物であり。また、興味深い人物でもある。

そういう会社は政治家から、小説家から、ロックシンガーから、やくざまで、息のかかったものを一応全部抱えている。  (P125)

というところがあるが、現実にありそうな話のような気がしてならない。とても面白い。
 「8」の中に

僕と同じ歳で既に腹が出始めた男。机に何種類もの薬を入れ、選挙について真剣に考える男。子供の学校について気を病み、いつも夫婦喧嘩をし、それでも基本的には家庭を愛している男。気の弱いとところがあって、時々酒をのみすぎるけれど、でも基本的にはきちんとした丁寧な仕事をする男。あらゆる意味でまともな男。  (p138)

というところがある。主人公とは正反対な人生である。三十四くらいになると、だいたいこの2タイプに分かれれると思われる。
「15」の中に

「そりやそうだよ。僕も昔は君と同じくらい熱心にロックを聞いていたんだ」と僕は言った。「君と同じくらいの歳のころにさ。毎日ラジオにしがみついて、小遣いを貯めてレコードを買った。ロックンロール。世の中にこれくらい素晴らしいものはないと思ってた。聴いているだけで幸せだった。(p232)

というところがある。私にも同じ経験があるのでとても懐かしく思う。
 また、同じ「15」の中に

「本当に言いものは少ないということがわかってくるからだろうね」と僕は言った。「本当にいいものはとても少ない。ロックミュージックだってそうだ。いいものは一時間ラジオを聴いて一曲くらいしかない。あとは大量生産の屑みたいなもんだ。でも昔はそんなこと真剣に考えなかった。何を聞いてもけっこう楽しかった。若かったし、時間は幾らでもあったし、それに恋をしていた。つまらないものにも、些細なことにも心の震えのようなものを託することができた。僕の言っていることわかるかな?」  (p233)

というところがある。「本当にいいものはとても少ない」というとろが特にいい。この時代でそうであったのだから、今はもっと少なくなっているのではないかと思う。とてもいいものが少なくなっているような感じがする。

「みんなはそれを逃避と呼ぶ。でも別にそれはそれでいいんだ。僕の人生は僕のものだし、君の人生は君のものだ。何を求めるのかさえはっきりしていれば、君は君の好きなように生きればいいんだ。人が何と言おうと知ったことじゃない。そんな奴らは大鰐に食われて死ねばいいんだ。僕は昔、君くらいの歳の時にそう考えていた。今でもやはりそう考えている。それはあるいは僕が人間的に成長していないからかもしれない。あるいは僕が恒久的に正しいのかもしれない。まだよくわからない。なかなか解答が出てこない」  (p234)

というとろがある。まったく同感である。
 「16」の中に

そしてね、そういうところで紹介される店って、有名になるに従って味もサービスもどんどん落ちていくんだ。十中八、九はね。需要と供給のバランスが崩れるからだよ。それが僕らのやっていることだよ。何かをみつけては、それをひとつひとつ丁寧におとしめていくんだ。真っ白なものをみつけては、垢だらけにしていくんだ。それを人は情報と呼ぶ。生活空間の隅から隅まで隙を残さずに底網ですくっていくことを情報の洗練化と呼ぶ。そういうことにとことんうんざりする。自分でやっていて」  (p240)

というところがあるが、私は同感する。テレビ、雑誌などに取り上げられると、とたんに味が落ちていくものだ。自分のお気に入りの店はできるだけそういうものに取り上げられたくないと思う。
 「20」の中に出てくる「雪かき」(p323)という言葉の意味がとても面白い。
ダンス・ダンス・ダンス(下)」
 「ダンス・ダンス・ダンス(下)」を昨日購入し、今日読み終えた。その感想と気になったところを次に書いてみようと思う。
 「25」の中に「FEN」が出てくる。私も中学、高校生のころにはたまに聞いていた。といっても音楽を聴いていたのだが、とても懐かしく思えた。また、「29」の中に

「カウアイは良いところです。静かで人も少ない。本当は僕はカウアイに住みたい。オアフは駄目だ。  (p79)

というとろがある。私もこの小説の時代設定のころにカウアイ島にいったが、まったく同じ事を感じた。食べ物はうまいし、都市化されてなく静かなところであった。
 また、「31」の中に「国際宅急便」という言葉が登場するが、うまく表現した言葉であると思う。また、「こことは違う世界」が登場する。この世界もとても面白い。現実の世界を「ここの世界」と表現する。
 下巻については東京、ハワイとが舞台となって、ストーリーがどんどん変化していき、一気に読みきってしまった。僕のまわりの登場人物が死んだり、消えていく中で、最終的には「ユミヨシ」だけは消えずにすんで物語は終わった。私は正直言ってこの結末には満足している。「ユミヨシ」だけには「僕」と同様、消えてほしくはなかったのだ。また、「ユキ」という少女にも気をひかれる想いがあり、「僕」と「ユキ」との交流も面白おかしく感じ、これからこの二人はどうなっていってしまうのだろうと思いながら読みすすめていった。
 村上春樹さんの小説を読んでいるときは、すごく頭がすっきりして、時間がどれくらいたっているのかもわからなくなるくらい、小説を読むことに集中してしまう。そして結末をむかえると、もやっとした気持ちになる。このあと主人公はどうなっていったのだろうか、小説のあの場面はこういう解釈ではなくちがう解釈があるのではないかなどと考えることが非常に多くある。不思議な世界である。何かどんどん「ムラカミ・ワールド」に引き込まれていくような気がしてならない。

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)