『シリコンバレーから将棋を観る』梅田望夫著を読んで

 第一章 羽生善治と「変わりゆく現代将棋」
 この第一章の中に

恐らく私の中にも固定観念が形作られているのでしょう。プロの将棋界は百数十人の世界ですが、いつも対戦する相手は10人程度。同じようなメンバーの中で指し続けているうちに、その中である種の暗黙の了解のようなものが出来上がる。これはきれいな手であり、これは筋が悪いといった仲間内の共通認識が形成されていく。
このままでは変化に対応できなくなってしまう。それだけは避けたいですから、若い人たちの将棋は極力意識して見るようにしています。  (p33〜p34)

という部分がある。羽生善治が述べた言葉であるが、若い人たちの将棋を極力意識して見るとは驚きである。どこの世界でもその世界のトップになると、若い人の行動はあまり見ないようになるような気がするので、とても私は驚きを覚えた。
 また、同じ第一章の中に次のような羽生善治の言葉が登場する。

いまは知識の雪だるまをつくってるような段階です。どんどん蓄積して、どんどん分析することで、雪だるまが急激に大きくなっている。転がり続けてますから。でも、その雪だるまって、どこまで育つかまだ分からないんですよ。そのデータベースがかなりの量を網羅していったときに、ひょっとすると相乗的な効果が生まれてくるかもしれませんよね。誰も予想してなかったイノベーションが起こったり。  (p47)

 そして、梅田さんは次のように述べる。

この文章は、グーグルの創業者たちが語った英語をやさしい日本語に翻訳したものだ、と言っても誰も疑うまい。グーグルの「情報についての最先端の思想」と同じものが、羽生の頭脳からオリジナルに導き出されているのである。  (p47)

 グーグルと思想と同じものが羽生の頭脳から導き出せれるとは、羽生善治とはどういう頭脳を持っているのだろうか。とても興味がわいてきた。

 第四章 棋士の魅力

とにかくまず、おそろしく頭がいい。地頭の良さが抜群で、頭の回転が速く、記憶力もいいから、話が面白い。自信に満ちている。会話の中で、相手の真意を察する能力にも、びっくりするほど長けている。だから会話がスムーズに進んで心地よい。そして組織人とはまったく違う、そして技術者、芸術家、学者とも違う、不思議で素敵な日本文化を身体にまとっている。ときおり無頼の匂いがする。宵越しの金はは持たぬという職人気質も見える。しかし礼儀正しく、若くても老成した雰囲気がふっと漂う瞬間がある。物事に対してすごくまじめで、何事も個がすべてだという感覚が当然のごとく人格にしみこんでいて、自分で物事をさっと決めてその責任をを引き受ける潔さが、何気ない言葉の端々からうかがえる。時間的な制約にとらわれない生活をしてるせいか、酒飲みが多く、遊ぶことにも貪欲だ。凝り性なのだろう、趣味や遊びに対しても、持ち前の記憶力で細部にこだわる風がある。そして、将棋や将棋界を愛する人たちを大切にする気持ちを彼らは心から持ち、将棋を通して人々と深くつながっていくことができる。棋士たちからは私は、そんな印象を受けた。 (p124)

とこの第四章では梅田さんは、深浦康市をべたほめしている。私もすごいと思う。
 第六章 機会の窓を活かした渡辺明

各国でトップクラスの実績を上げてアメリカにやってくる若者たちと渡辺に共通するのは、自由闊達で、合理的なものの考え方をし、強気で、鼻っ柱が強くて、頭の回転が速く、早口でよくしゃべり、開放的で、思ったことをどんどんオープンにしていく、といったところである。そして、子供時代から特別な才能を認められた代償に厳しい競争環境の中で育ち、「才能って結局は努力のこtだよな」と言い切れるだけの精進を続けてきており、そのことが深い自信の拠り所になっている。だから自分に厳しい分だけ他人にも厳しく、他者を評価するときの表現が、若さゆえに辛辣になりやすい。そいうところも本当によく似ているのだ。  (p208)

 渡辺明について梅田さんはこのように述べている。専門分野で頂上を極めるという人の印象は世界共通なのだろうか。日本の文化といえる将棋の世界で「各国でトップクラスの実績を上げてアメリカにやってくる若者たち」と似ている部分があるとは不思議なものである。
また

そのグーグルに対抗できる日本最高の知性というのは、実は産業界にいるのではなくて、ここいる羽生さんなのでしょう。そして羽生さんだけでなく将棋界の棋士の方々の、毎日の切磋琢磨の中で行われている研究と勝負の蓄積が結果として表現しているものは、グーグルが挑戦していることと、本質的にまったく一緒なのです。将棋界でこれから起こることは、私たちの社会の未来を考えるヒントに満ちています。羽生さんが将棋を通して表現しようとしていることの重要なひとつは、まさにこのことだと思います。羽生さんはは、そういった現代社会の情報についての最先端の在り方を表現してきた。私たちも、そろそろそのことに気づかなければ、羽生さんに申し訳ないのではないか。そう私は強く思うのです」  (p211〜p212)

という祝辞を梅田さんは羽生善治に述べている。グーグルに対抗できるのが羽生善治とは、この言葉をきいて、とにかく私は驚いた。今後羽生善治に注目していこうと思う。
また

渡辺は「生来たいへんすぐれた才能を持った技術者でありながら、二十代で早くも社会性や総合力を発露していて、どんな仕事でもやればできてしまうゆえ、技術者という生き方の枠だけにおさまきれずに、ベンチャー企業を創業したりするタイプ」と言えると思う。  (p221〜p222)

と梅田さんは渡辺明のことを述べている。技術者でありベンチャー企業を創業したりするタイプとはすごいことだ。技術もあり経営者もできる。それはとてもすばらしいことであると思う。また、そのくらいすごい人であるのだと思う。
 第七章 対談  羽生善治×梅田望夫

僕は毎朝午前四時くらいに起きて、まず昨日一日のうちに世界で何が起きたかを勉強するわけですよ。それで同時に、気になる将棋の対局があると、その中継画面も開いておく。日本時間ではちょうど午後八時か九時くらいのことです。そうやって、世界の流れを見つめながら、時には複数の将棋の流れみたいなものを追いながら、ときどきパソコンを離れて将棋盤の前に座って羽生さんの将棋を並べたり、それで何かふっとアイデアが浮かぶとパソコンに戻ったり・・・・朝の五〜六時間は、そうして過ごすんです。仕事のことを考えながら将棋の流れを観たり、将棋盤に向き合ったりしていると、すごく、アイディアが湧くんですよ。触媒のような感じですね。  (p252)

と梅田さんがこの対談の中で自分のことを述べている。将棋のことは考えないし、午前四時に起きない、またすごくアイディアも湧かないが、梅田さんは自分のいつしか「ロールモデル」になっているような気がした。この一節を読んで強く私は感じた。
また

今、世界は百年か二百年に一度の大転換にきていて、人類の前に、解けるかどうかわからない問題ばかりがたくさん提示されているような状況だと思うんですよ。これまで先進国プラスαの十億人が、石油をガブ飲みして、資源をめちゃめちゃに使いながら生きてきた。同じことを地球全体でやったら地球は立ち行かなくなる。石油から脱石油へと切り替えなくてはいけないけれど、その過程には、道一つ見つからない。どうやったら他のエネルギーで「未来の百億人」が生きられるんだとか、水や食糧の問題はどうしたらいいのかとか。僕のイメージは、逆に、世の中がけものみちだらけになりつつある、という感じなんです。  (p257〜p258)

と梅田さんがこの対談の中で述べている。
「世の中がけものみちだらけになりつつある」ということ、特にこの部分が印象的であった。私もワイルドに生きていきたいと思う。

 最初は将棋の本と思っていたが、実際は「羽生善治」「佐藤康光」「深浦康市」「渡辺明」という人物について書かれた著書である、とこの本を読み終えたあとに私は思った。もちろん将棋についての興味も自分自身沸いてきたのは間違いないのだが。
 それにしてもこの著書に登場する棋士はすごい人であると思う。それぞれから学ぶべきことがたくさんあると思う。今後も梅田さんをとうしてみていきたいと思う。