「民俗学の旅」宮本常一著を読んで

 「民俗学の旅」宮本常一著を読んで、心に響いた言葉及び感想を書いてみようと思う。
 この著書は宮本常一さんの自伝のようなものであり、宮本さんを知るにはおすすめの著書といえるかもしれない。この著書の中には作者の父や祖父のことや小学校教員時代のこと、民俗調査のことなどが書き表されているからだ。
 その中で心に響く言葉は次のようなことがあった。
 まず、「3、父」(p27)の中にある言葉。

父からよく言われたことは「先をいそぐことはない、あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこしたことは多く、やらねばならぬ仕事が一番多い」ということであった。  (p34)

 人は急ぎすぎることによりやらなばならぬ大事なことが欠落してしまう、というようなことを意味しているのだろうと思う。いろんな意味で今こういう姿勢も必要でではないのでしょうか。けっこう見落としがあるということを言い表しているのではないかと私は思う。
 また、p36〜p38の中にある作者の父の5つの言葉は興味深い。特に(7)(8)(9)(10)がいい言葉なので引用する。

(7)ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。
(8)これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
(9)自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

 作者はこの父のことばにしたがって歩き続けたそうである。今、必要な言葉ではないかと思う。
 「9、アチック・ミューゼアムに入る(p96)の中に作者が渋沢敬三の教訓的な話をあげている。

大事な事は主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものが多いがそいうことはどんな場合にもつつしまなければならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要ををみとめられないときはだまってしかも人の気にならないようにそこにいることだ。  (p98)

 作者もこのことを守ろうとしたが、なかなか実行できず人の意識にのぼるような行動をとることの方が多い、と述べている。しかしながら、実践はできずとも常にこのことを意識することが必要ではないかと思う。実際には実践しずらいのだが。
 この他にも母の言葉など、心に響くものが多数あった。
 また作者は「柳田、渋沢、沢田先生にあう」(p78)の中で次のようにに述べているところがある。

昭和十三年三月には近江の湖北の山村を訪れた。雪に埋もれた山間の人たちの生活を見たいためであった。そのほかにも一晩泊まりの旅は多かったが、そうした旅の中でいわゆる民俗的なことよりもそこに住む人たちの生活について考えさせられることの方が多くなった。人びとの多くは貧しく、その生活には苦労が多かった。苦労は多くてもそこに生きねばならぬ。そういう苦労話を聞いていると、その話に心をうたれることが多かった。そうした人びとの生ざまというようなものももっと問題にしてよいのではないかと考えることが多かった。つまり民俗的な調査も必要であるが、民衆の生活自体を知ることの方がもっと大切なことのように思えてきたのである。  (p94〜p95)

 「民俗的な調査も必要であるが、民衆の生活自体を知ることの方がもっと大切なことのように思えてきたのである」とは、ますます宮本常一が好きになった。アチック・ミューゼアムにはいるまでに歩いたものを『吉野西奥民俗採訪録』、中国の旅の記録は『出雲八束片句浦民俗聞書』『中国山地民俗採訪録』としてまとめているので、ぜひ読んでみようと思う。

民俗学の旅 (講談社学術文庫)

民俗学の旅 (講談社学術文庫)