「おもてなしの経営学  アップルがソニーを超えた理由」中島聡著を読んで

 梅田さんのブログで紹介されていた「おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由」を読んだ。その感想を書いてみようと思う。
 第1章の「おもてなしの経営学」の中で中島さんは

 User Experienseは「おもてなし」だと思っています。

 私はこれがいたく気にいってしまった。直訳ではないので、必ずしもそのまま入れ替えて使うわけにはいかないが、元々の言葉の持つ意味合いを的確に表すという点では、もっとも適切な言葉だと思う。それ以来、ブログや講演で機会があるたびに、ユーザー・エクスペリエンスの日本語訳として「おもてなし」という言葉を使っているのだが、それがインターネット上のサービス「はてなダイアリー」のキーワードとして登録され、『現代用語の基礎知識』に収録されたのである。  (p17〜p18)

 と述べている。
 「おもてなし」ということは、日本古来の精神であると思っていました。これが、海外でもこういう精神があるとは、全然思っていなかったので、非常に驚いた、というのが私の正直な感想である。

 また、ユーザー・インターフェイスユーザー・エクスペリエンスの違いを述べる例として

 多くの遊園地が、「落差140メートルのジェットコースター」「直径200メートルの巨大ゴンドラ」などと個々のアトラクションの魅力を宣伝するのに対して、ディズニーランドが提供するするのは、ディズニーランドという「場」である。「落差140メートルのジェットコースター」を目当てに遊園地に行った人にとっては、遊園地の入口からジェットコースターの乗り場までは「余計な通過点」でしかない。楽しみのエッセンスはジェットコースターにある。
 ところが、ディズニーランドの楽しみは入口を入った瞬間から始まる。子供たちと握手をしてくれるドナルド、ゴミひとつ落ちてない道、街頭からゴミ箱までのデザインが統一された街づくり、笑顔で掃除しているキャストたちー  そのすべてがそろって「別の世界」を作り出しているのだ。大人までもが子供の気持ちに戻って「おとぎの世界」を体全体で楽しむ。そんな「おもてなし」を提供するのがディズニーランドだ。 (p19)

 と述べている。
 まさに、ディズニーランドがユーザー・エクスペリエンスで、その他の遊園地がユーザー・インターフェイスというのがよくわかる例をあげている。非常にわかりやすい。こういう視点でディズニーランドをみたことはなかったが、確かにいたれりつくせりのサービスで私たちを楽しませてくれる。


 また、同じ第1章の「エンジニアの美学と床屋の満足」の中で

 そのエッセイの筆者は、「いかにも床屋に行ってきました」という髪型をして人に会うのが恥ずかしいので、いつもと床屋さんに行くと、「床屋に行ったばかりとはわからないようにしてくださいね」と頼むそうだ。しかし、ほとんどの床屋がそのリクエストを無視して、「いかにも床屋に行ってきました」というさっぱりとした髪型で店から送り出すことが仕事の充実感・満足感を与えるとても大切な要素となっている、と結論付けていた。  (p33〜p34)

 というエッセイをあげている。
 ものづくりの現場では、使う人をもてなすための設計ではなく、作る人の自己満足の設計が優先してしまうということが往々にしてあるそうだ。これが、まさに「床屋の満足」であると中島さんは述べている。いろいろな製品がこの世の中には出回っているが、ユーザーにとって使いやすい製品というのは、確かによく売れているかもしれない。


 同じ第1章の「コンシューマー・エレクトロニクス」業界の将来像の中で

 テクノロジーの会社が伸びるときというのは、ギーク族の心をつかむのが上手なスーツがリーダーシップをとったとき(ここ数年のアップル)、抜群のビジネスセンスを持ったギークがリーダーシップをとったとき(1990年台のマイクロソフト)、ギークとスーツが絶妙のコンビを組めたとき(昔のソニー)の、いずれかが成り立ったときだけなのかもしれないと思う今日この頃である。

 と述べている。
 やはり強いリーダーシップをもつ人が社内にいないと、企業というものは伸びてはいけないのかもしれない。


 同じ第1章の「任天堂のものづくりの姿勢に学ぶ」の中で

 ニンテンドーDSの発売当時、その設計思想に関して岩田社長が話す内容は、ひたすら、それで楽しむ子供たちのこと。「こんあことができたらきっと楽しんでもらえる」「こうやったら小さな感動を与えられるかもしれない」。岩田社長の言葉から、彼が常にそれで遊ぶ子供たちのことを目に浮かべながらものを作っていることが伝わってくるエピソードである。  (p45)

 ソニーマイクロソフトがコアゲーマーの奪い合いをし、任天堂がDSとWiiでゲーム人口の裾野を広げるという当時の予想そのままの図式になっている。(中略)
 まだ、決着はついたわけではないが、ここまでの戦績を見る限り、一歩も二歩もリードしている任天堂の「できるだけ多くのユーザーにゲームを楽しんでほしい」というユーザー視点でのものづくりには学ぶところが多い。  (p48〜p49)


 と任天堂の岩田社長のエピソードを紹介し、任天堂について述べている。
 まさに岩田社長の精神が「おもてなし」の精神であり、任天堂がその精神をベースに現在のところ他社を圧倒しているといえるのかもしれない。子供が楽しめる、ゲームに慣れ親しんでない大人でも楽しめる、ということが大切である。


 第2章「ITビズネス薀蓄」の中の「グローバルな人材市場で求められる価値=英語力」の中で

 私は4年ほど前、ひょんなことから韓国のサムスン電子の携帯電話の開発研究所で、50人ほどの若手関係者の前で講演する機会に恵まれたのだが、そのときにいちばん驚いたのは誰もが英語を流暢に話せること。理由を尋ねると、彼らのほとんどが米国の大学で修士号や博士号を取得したあと祖国に戻り、サムソン電子に就職したエリートだという。日本の理系の学生とはハングリーさが全然違うし、エリート意識のレベルも違う。  (p82)

 と述べている。
 韓国はおそるべし、このままでは韓国だけではなく他のアジアの国にも負けてしまいそうだ。野球でもその力は韓国に負けそうなぐらいのレベルであるし、現実にはWBCでは韓国のほうが成績は上位であった。また、サッカーではもともと韓国の方がランキングも上位である。


 同じ第3章の「大企業にしかできないこと、ベンチャー企業にしかできないこと」の中で

私 インターネトの時代になり、イノベーションのスピードが大きく変わっている。ひとつのプロジェクトに3年も5年もかけていては時代遅れになってしまう。今までとはやり方を変えて、少人数で6カ月サイクルぐらいで新しいものを作っていくべきだ。  

ビル・ゲイツ そんなことはどこのベンチャー企業でもできる。資金力と人的リソースを持っているマイクロソフトにしかできないことをしてこそ差別化できるんだ。  (p93〜p94)

 という中島さんとビル・ゲイツとの会話を紹介し

 1999年の終わり頃の会話だが、このときに強く認識したのは、会社がある程度の大きさになると、その中でスピーディーなイノベーションを起こすのが非常に難しくなってしまうという現実。そぞれのプロジェクトが年間数百万ドル・数千万ドルを売り上げている大企業にとって、わざわざベンチャー企業と同じ土俵に立って、売り上げにつながる保証すらない小さなプロジェクトをいくつも手掛けるのはあまりにも効率が悪いのだ。それよりも、大企業は膨大な資金。人的リソースを最大限に活用して、小さな企業が真似したくても真似できないような大プロジェクトに取り組むべきだというのが、ビル・ゲイツの言い分だ。  (p94)

 と述べている。
 ビル・ゲイツの経営者との言い分も正論だし、中島さんの言い分も私は正しいと思う。これをきっかけとして中島さんはマイクロソフトを退社したそうだ。中島さんは「ベンチャー企業」向きで「大企業」向きだということが、退社する理由でああったそうだ。なかなかこのへんの見極めを難しいと感じる。


 同じ章の「コラムとブログとブラックホールと」の中で

 ということで読者の方々にこのコラムに関するフィードバックを書き込む場所を作ってみた。(中略)何かしらのコメントをいただけるととてもありがたい。URLは以下の通りである。
 http:/satoshi.blogs.com/life/2007/feedback.html

 と述べている。今度コメントしようと思う。


 第3章「特別対談」『特別対談Part2 古川亨 「次世代ディスクの一件で感じたマイクロソフトの企業としての臨界点」』の中で

古川 あるエンジニアの人に仕事人にはふたつのタイプがいるという話を聞いたことがあるんだ。「上を見て」仕事をするタイプと、「天を見て」仕事をするタイプ。上司の顔や直近の自分の損得だけで動くのが「上を見て」仕事する人。「天を見て」仕事をする人は、会社や上司のためではなくお客様のためにいい仕事をする、この技術が未来につながるとか社会的に必要だという美学を貫き、自分の信条をを持って動く。」  (p191)

 と中島さんの対談の相手、古川さんが述べている。
 「上を見て」仕事する人が多くなったため、古川さんはマイクロソフトを退社したそうである。「天を見て」仕事をする、とはすごくいい言葉である。

 同じ章のところで

古川 僕が2005年にマイクロソフトを辞めて理由はたくさんあったけど、ひとことで言えば誠実さの問題かな。いいものを作ってユーザーの満足を得ようということよりも、社内外で政治的に相手を追い落とすような動きが目につき始めたんだよね。  (p193)

 と古川さんが述べている。
 「政治的に相手を追い落とす」ことなど一番最低のことだ。

 また、中島さんは同じ章で

中島 停滞すると、政治的な動きが目立ってしまうんでしょうね。会社が未来を見てどんどん伸びているときはみんなで協力して前に進んでいけるし、足を引っ張りあう暇もないですから。。株価にしても、2000年前後にITバブル崩壊で半分に落ちて、その後は上がってこない。見ている人はちゃんと見ているんだな、と思いますよ。  (p195)

 と述べている。
 なるほど、停滞が悪い方に会社を向かせてしまうのか、今の日本の企業もさしずめこんな状態なのだろうか。


 同じ第3章の『「天を向く」「お金を稼ぐ」のベクトルが一致できる米国のベンチャー』の中で中島さんが紹介している。YouTube創業者のひとりであるスティーブ・チェン氏に、グーグルの傘下に入って何がよかったかと中島さんが尋ねると、スティーブ・チェン氏は

 いちばん変わったのは、一生懸命頑張ってくれているスタッフたちに対してそれまでトイレはひとつだけで男女共用、食事は安物のピザの出前でしのいでもらっていたのが、男女別のトイレをちゃんと用意してあげられて、夜食で出すご飯の品質がグッと向上したことだ。  (p201)

 と答えている。
 上場して金儲けすることが目的ではない、というスティーブ・チェン氏のまともな感覚がよくでている、と中島さんは述べている。このへんの感覚が、企業を成長させることにつながっていくのだ、と私は痛感する。


 同じ3章の『徳川家康の日本では出てこない「織田信長」のiPhone?』の中で中島さんは

 徳川家康が設計した日本の魂というのかな。つまり家康は二度と信長が出ないように、それを目的に国家を作ったわけでしょう。ジョブズはまさに信長ですから。  (p204)

 と述べている。なんとなくわかるような気がする。


 第3章の「特別対談」の中の『特別対談Part3梅田望夫  「ギーク」「スーツ」の成功方程式』の中で梅田さんは

梅田 僕は、自分を駆り立てる動機がビジネスの中にはないことが最近になってようやくわかってきたんです。経営コンサルタントになって21年目だけど、自分の会社をもっと大きくしようとか、次にもうひとつ会社を作ろうとかはあまり思わない。もともと性格として人と競争すること自体にあまり興味がない。お金を稼ぐためにしかたなくこの世界に入って、ある程度はやってきたけど、お金が最優先事項ではなくなった瞬間からビジネスに対する関心が下がってきたんです。
 今、興味があるのはものを書いたり若い人たちと接して、自分が今まで学んだことを伝えること。大学の先生のような既存の枠でないところで活動して、20年後に「あの人は違う意味での『教育』を実施していたんだな」と言われるようなことをしたい。(p260〜p261)

 と述べている。
 梅田さんには、ぜひ、そういう活動を続けていってもらいたい。


 「あとがき」の中で中島さんは

 そんな中でハードウエア、ソフトウェア、サービスを組み合わせたビジネスで急速に台頭してきたのがアップル。失うものの大きい日本のコンシューマー・エレクトロニクス企業としてはとても戦いにくい相手だ。この方向で進むと2020年頃にはアップルのようなソフトウェアとサービスを組み合わせた「おもてなし」を提供できるひと握りの企業だけがコンシューマー・エレクトロニクス企業として生き残り、現存するハードウェア企業の多くは、液晶パネルなどの部品を生産する単なるサプライヤーとして生き残るしか道が残されていなくなってしまう可能性は大きい。  (p271)

 と述べている。
 非常に中島さんのおっしゃている方向に、日本のコンシューマー・エレクトロニクス企業が向かっているような気がする。