「パラダイス鎖国  忘れられた大国・日本」 海部美知著を読んで

海部美知著「パラダイス鎖国」(1)

 の日記にも書いたが、「パラダイス鎖国」を購入し読了した。今日はその感想を書いてみようと思う。
 第1章の「パラダイス鎖国の衝撃」、「3.パラダイス鎖国・産業」の中で、海部さんはアナリストの佐藤文昭氏の指摘を紹介し、次のように述べてている。

 また、海外でもシェアを保っているが、デジタルカメラ、薄型テレビなどは「大量参入により短期で市場が飽和した」例としてあげている。そしてその原因は、「国内市場の方が製品単価が高いため、日本企業としてはビジネスとしての優先順位が高くなりがちであること、海外に比べて国内の方が事業リスクが低く、参入しやすいことなどが考えられる」と指摘している。同書(日本の電機産業シナリオ)によると大手電機メーカー10社の売上高合計は、51.3兆円(2005年)で、自動車7社とほぼ同規模であり、日本のGDPの約1割を占める。
 しかも、自動車と並んで世界でも広く知られたブランドを持つ企業ばかりでもあり、素材・部品・販売・物流など、裾野企業も広い。この巨大で影響力の大きい業界が「パラダイス鎖国」によって、世界で競争していくための数量と販売網を失い、ますます国内に引きこもってブランド価値を下げていくという「閉寒ループ」に入ってしまうと、その悪影響は大きい。従来からの大ブランド企業が凋落しても、それに代わる強力な新興勢力があるならばよいが、現在のところ日本では、そのような新陳代謝が大きなスケールでは起こっていない。  (p41〜p42)

 このようなところにも海部さんが言う「パラダイス鎖国」が顕著に表われているのだろう。日本のGDPの約1割の売上高をほこる大手電機メーカーが、国内市場にしか目が向いてないということ、自動車メーカーと同じくらいの売上高があるということを正直なところ私は知らなかった。もしこのままの状況が、大手電機メーカーの中で続くようであれば、非常に危険なことになると私も思う。


 第2章の「閉じていく日本」、「2.閉じていく日本の形」の中で海部さんは

 現代の大国日本の姿

 これら現状の事態を総合すると、日本は、次のような特徴を持っていることがわかる。
 1、世界2位の経済規模を持ち、その地位は現在でも安泰である。
   潜在力の大きい中国がが注目されているが、全体経済規模ではようやく日本の半分だ。
   アメリカとの差はあるが、、そのほかの国と比べると日本は桁違いに経済規模が大きい。
 2、アメリカと同様に、国内市場がきわめて大きい。
   ほかの先進国と比べても、輸出入が経済活動全体に占める比率は比較的小さい。人口や経済規模の大きさから、国内消費が大きいという特徴がある。
 3、アメリカでの存在感は最近低下している。
   貿易構造の複雑化により、一時のような「経済脅威」としての存在感はなくなっている。「悪いイメージはなくなったが、存在感は薄くなった」とい   う状況。
 4、日々の生活で実感できる「豊かさ」指標では、欧米の大国をしのぐ水準にある。
   協力指標や、豊かさ指標などのどれを見ても、共通していえることは、「インフラが整い、清潔・健康・安全な生活ができる」という特徴である。
 5、国民全員が教授できる基本的なもの意外では、整備や変化が進まない。
   高等教育整備、各種権利保護、個別の産業ない対する対策など、議論の分かれやすい点、時代の変化によりやり方を変えていく必要のある点について   は、なかなか進まない。
 6、経済は90年代以降の停滞から完全に脱していない。
   国民一人当たりのGDPの停滞にも関わらず、生活水準の実感は上がっている。日本はお金がなくても気持ちよく生活のできる「清貧の国」になって   いる。
 7、財政赤字、累計債務、政府部門の効率の悪さが際立った問題である。
   財政確保が困難な中、必要性に乏しい公共事業への投資が続く、という構図が当てはまる。所得が増えず、変化すべきものが変化しないという「閉塞   感」の遠因となっている。

 ざっと概観してこんなところが日本の現状である。「パラダイス感」と「鎖国感」の背後にあるものが、こうして浮き彫りになってくる。 (p75〜 p77)
   

 と述べている。
 3〜7は非常によく日本の現状をとらえていると私は思う。特に5〜7についてはなんらかの対策をうって早急に解決をしていかなければならない。また、1と2は私にはあまりその実感がなく、あまり知らなかったところである。


 第3章の日本の選択肢、「2.豊かさの戦略」の中で海部さんは

 正確には、この「レッセ・フェール」(なすがままに任せる)を原則とし、手探りの試行錯誤を繰り返すやり方は、アメリカというよりも、常に新しい技術が勃興するシリコンバレーで強い考え方であり、この地ではすべての仕組みの根底にある根源的な思想といってもよい。  (p109)

 「追いつけ追い越せ」時代、その延長である「果てしなき生産性向上」時代を経て、現在の日本は、欧米の大国とと同様に「大きいがゆえの悩み」時代へと変化している。  (p110)

 霧の中で見えないものに向かって完全と進むこと。あるいは、ほかの人には見えないけれど自分だけに見えるものを探すこと。こうした、自分にとって必ずしも楽ではないことをやってみようということ、それが「フルモデルチェンジ」を目指すシリコンバレー型試行錯誤方式なのである。  (p114)

 いまの日本なら、新しいものを作り出すための無駄やコストを負担する余裕がまだある。その余裕すら失ってしまう前に、新しいものを作り出すための一歩を踏み出すべきなのだ。その段階を過ぎてしまったら、挽回にますます時間とエネルギーがかかる。あるいは、もう挽回できなくなるかもしれない。
  (p116)
 

 と述べている。
 「追いつけ追い越せ」時代と「果てしなき生産性向上」の時代を経て、これからの日本は「シリコンバレー型試行錯誤方式」を目指せ、と海部さんはこの章で言っているが、私も同感する。今の日本は非常に危機的状況にあると思う。


 また、同じ第3章の「3.アメリカに何を学ぶか」の中で

 日本とアメリカを2国間だけで比べて、その文化的な違いを指摘することは簡単である。しかし、アメリカと日本に、中国などの新興国や、ヨーロッパの国などを加えて比べてみよう。実はアメリカと日本が似ていることがわかる。
 結論からいうと、日本とアメリカは「パラダイス鎖国」の同士なのである。  (p117)

と述べている。また、その理由を

 外国のことにまったく興味がなく、国内だけに閉じた生活で不便を感じないという人や企業が大半を占める。 (p117)

 と述べている。
 これには正直なところ私はびっくりした。だが、理由を読んで、なるほどそうなのかもしれないと感じた。


 同じ「3.アメリカに何を学ぶか」の中で

 アメリカの中では、シリコンバレーカリフォルニアは特に「変人」の集まっている場所であり、ここがしばしば英語でいう「chenge agent(変化のきっかけとなる触媒)」、別にいい方をすれば「国内における黒船」の役割をすることがよくある。同様に、日本でも「内なる黒船」が必要なのである。しかも、際立った才能を持つ個人とか、たまたまよいタイミングで吹く神風とか、そういった偶然に近いものを頼りにするのではなく、継続かつシステマティックに、黒船を生み出す仕組みが欲しい。それを可能にするのが、「試行錯誤戦略」なのである。  (p122〜p123)

 と述べている。
 「内なる黒船」という表現を使っているが、非常にうまい言葉であると思う。また、黒船を生み出す仕組みづくりもとても重要であるし、必要なことでもあると思う。

 また、海部さんは同じ「3.アメリカに何を学ぶか」の中で

 日本でもベンチャーを起こしやすくするための制度がいろいろ試されているが、こうした「ぬるま湯」や「知の流通」の仕組みと文化はまだ根付いてはいない。多様性を確保するたまの一種の「システム」として、シリコンバレーの人や知識の流通から学べる部分はまだありそうだ。  (p131)

 と述べている。
 知識とノウハウををより広い範囲で自由に流通させることが、今の日本には根付いてない、と海部さんは主張しているが、私もまったく同感である。企業には、他には漏らしてはいけないことだらけであり、広い範囲での交流などありえない。少しづつでもこういった「知の流通」が、実現できる方向にすすんでもらいたいものである。

 次の「4.多様性の国を目指して」の中で海部さんは

 日本のゆるやかな開国とはどんなものか、大きな方向性を一言でいえば「多様性」である。利害や価値観が対立人やグループもすべてひっくるめて、ニッポンという大きな仕組みの中に共存させ、そこで常にこれらの人やグループ間のバランスが変化している。従来の枠組みから外れたものが生まれても、それが多くの支持を集めるものであれば、徐々に重みを増して新しいバランスが生まれていくだろう。  (p132)

 人のつながりを中心として、バーチャルに作るのが現実的であるかもしれない。誰かが、なんらかの指向性を持ったコミュニティーを作り、そこに社会的に影響力や資金を持っている個人や企業がパトロンとして参加して、「黒船」になりたい人がその庇護を受けながらアクションを起こす。周囲の人はそれをおもしろがり、賛同し、ネットで援護射撃し、商売に役立つならばその製品を使い、既存勢力から攻撃されれば団結して防衛する。  (p135)

 と述べている。
 最初の部分がゆるやか開国について、後の部分が、「内なる黒船」を量産する「ぬるま湯」をつくる環境づくり、とはどういうものなのか、について述べた文章である。「ぬるま湯」をつくる環境づくりには、私も参加していきたいと思う。また、多様性も重要であると思う。


 第4章日本人と「パラダイス鎖国」の「2.雇用慣行が日本人を変える」の中で海部さんは

 そして、いま何をすればいいかがわからないときは、とりあえず英語を勉強したらよい。どれでも外国語ができればトクだが、英語は世界でも最も潰しのきく万能スキルである。どこの国でもどの分野でも、何かしら役に立つ。ロングテール戦略の情報獲得にも使え、ぬるま湯を求める世界が広がる。

 と英語の重要性を述べている。まったくそのとうりだと思う。

 また同じ章の『3.「脱・鎖国」の日本人』の中で海部さんは

 一方向だけではなく、多くの方向へと伸びたパイプが、いりいろな形で外の世界とつながって、バランスをとっていることが、堂々たる大国としては必要なことであるはずだ。多くの人が、いろいろなレベルのいろいろな活動で外の世界とつながっている、という姿である。それが、「ゆるやかな開国」だ。
  (p180)

 自分の興味のあることや、好きな有名人の名前を、英語にしてネットで検索してみよう。  (p181)

 軽やかに、前向きに、少しずつ、開国へと向かってゆこう。ウェブ時代だからこそ、多くの人にそれができる。「お国のため」ではなく、自分のために、広い世界とパイプを持とう。日本が堂々たる先進国になった時代の新しい日本人像は、遠い世界に住む偉い人ではなく、たくさんの普通の人の中にある。
  (p181)

 と述べている。
 私自身も「ゆるやかな開国」をしていこうと思う。


 あとがきの中で海部さんは

 日本人の次の世代のこどもたちが、「忘れられた大国」という負の遺産を背負わなくていいように、いま、大人である私たちがやらなければならないことはたくさんある。(中略)
 それでも、私が未来に希望を失っていないのは、こどもたちのおかげである。日本語補習校には、アメリカに住んでいて英語のほうが得意だけれど、それでも日本のよきDNAを受け継ぎ、日本が大好きという、ハイブリッドのこどもたちが何百人かいる。素直なこどもの目で見ても、日本はやはり魅力的な国なのだ。
 そして、彼らはみな、「プチ変人」の卵である。(中略)日本人全体の中では、消えてしまうほど数は少ないけれど、でも日本にも、別種のプチ変人の卵たちがたくさんいることだろう。私たち大人ができることは、その成長を妨げないよう、「厳しいぬるま湯」になってやることだ。  (p184〜p185)

 と述べている。
 「厳しいぬるま湯」になることは、簡単なようで非常に難しいことだと思う。しかし、私はチャレンジし続けていきたいと思う。
 海部さんの文章は、とてもわかりやすく、読みやすく、やさしさを感じた。この本で世の中がどのように動くかわからない、と海部さんが述べていたが、私は世の中が少しづつ変わっていくのではないかと思う。また、変わっていくようではないと、日本の未来は非常に不安がおおいと感じる。