「日本語が亡びるとき」水村美苗著を読んで(2)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

 この前は読み終えての直後の感想を書いてみたが、今日は細かい感想について書いてみる。
 1章「アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々」の中でIWPについて、また、その中での作家との交流などを書いている。そして、水村さんはその作家との交流の中で「日本はとても恵まれている国である」と述べている。
 また、「言葉に有志以来の異変がおこっている」(p49)と述べ

1つ目の異変は、下の方の、名も知れぬ言葉が、大変な勢いで絶滅しつつあるということである。今地球に六千ぐらいの言葉があるといわれているが、そのうちの8割以上が今世紀の末までには絶滅するであろうと予測されている。(中略)都市への人口集中や伝達手段の発達や国家の強制によって、言葉は、かつてない勢いで消えつつある。
2つめの異変は、今までには存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全域で流通する言葉が生まれたよいうことである。
それが今<普遍語>となりつつある英語にほかならない。  (p49)

と2つの言葉の異変をあげている。「日本語」がまさに絶滅する言葉の中に含まれている主張するのである。
 英語が普遍語になるということは、どいういことか、ということを次のように述べている。

英語が<普遍語>になるとは、どういうことか。
それは、英語圏をのぞいたすべての言語圏において、<母語>と英語という、2つの言葉を必要とする機会が増える、すなはち、<母語>と英語という2つの言葉を使う人が増えていくことにほかならない。(中略)だが、ある民族は、悲しくも、<自分たちの言葉>が「亡びる」のを、手をこまねいて見ているだけかもしれない。  (p51)

 ここでも、日本語が亡びていくのを日本人は、手をこまねいて見ているだけになるかもしれない、と水村さんは述べている。英語を話す人口が世界で増えていることが現実的にあり、ビジネスの世界でも世界共通語として英語であるということを考えれば、水村さんが言うように英語が普遍語であるということは間違いないことであると思う。また、日本語が名もしれない言葉のひとつであるというのも事実であるのかもしれない。
 

中学時代をイギリスで送り、英語で書く方が得意になってしまったというバロロングは、英語で書いていたが、あたかも、民族的裏切りの罪を償おうとでもするのかのように、創作のかたわら、ツワナ語のことわざを英語に翻訳したりしていた。昔、西洋人の宣教師や人類学者がアフリカまでやってきて、その土地の民話を集めたりしたが(日本までやってきて、日本の民話を集めたラフカディオ・ハーンも、その系譜につながる)、それを、今、バロロングのように、西洋語に堪能なアフリカ人たちが、自分ではじめたともいえよう。                                       <自分たちの言葉>で書いていないバロロングは、私たち作家の中では「例外」であった。あたかもそれを象徴するかのように、腰痛もちのかれは遠出に参加せず、西洋人が多いマイクロバスにも東洋人が多いマイクロバスにも乗らなかった。
 いつか、バロロングのような例外が、さほど例外ではなくなる日がくるのではないか。
 バロロングの姿を見るたびに日本人の私はそのようなことを考えざるをえなかった。
 今日、バロロングのような作家が「例外」なのは、サハラ砂漠以南のアフリカが、<書き言葉>を持たないまま西洋の植民地となったせいである。いいかえれば、それは、かつて「暗黒大陸」とよばれた、アフリカの「遅れ」のせいである。だが、歴史は、私たちの知らないあいだに、そのようなアフリカの「遅れ」を別のものに転じさせようとしているのかもしれない。  (p54〜p55)

 とても長い引用になった。しかし、ここの部分で水村さんは日本語、日本文学の将来の方向性を述べている、と思ったのでとても長いがあえて引用をした。このアフリカ人のように書き言葉を英語で、日本の文学を世界に紹介していくべきであるということ、また、後の章でも触れられているが、英語のできるエリートの養成をするべきであるということ、をここの部分で主張をしているのではないかと思う。おそらく、英語を母語とする人が日本語を英語に翻訳するのと、日本語を母語とする人が日本語を英語に翻訳するのでは、日本のほんとうのよさが伝わらないのではないかと思う。だからこそ、日本人が英語で書くということがこれから必要であるのではないか。私はそう思う。それが、ほんとうの意味の日本語が亡びないことにはなるのではないか。
 この章の最後に

 この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したところの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。  (p59)

と述べている。ここらへんも、日本語が亡びると主張するところなのであろう。また、福沢諭吉二葉亭四迷夏目漱石森鴎外幸田露伴谷崎潤一郎等を水村さんはあげているが、あまり話題には現在なっていないし、今の日本人には読まれていないだろう。とても危険であると思う。
 2章「パリの話」では、パリで開かれたシンポジウムでの水村さんの話が述べられいる。その中で印象に残った部分は次のところである。

世界を見回せば、日本のようにはやばやとあれだけの規模の近代文学を持っていた国は、非西洋の中では、見当たらないということである。そして、さらに、たしかなのは ー たしかである以上に重要なのは、たとえ世界の人には知られていなかったとしても、世界の文学をたくさん読んできた私たち日本人が、近代文学には、世界の傑作に劣らぬ傑作がいくつもあるのを知っているということである。

 近代文学には、世界の傑作に劣らない傑作があるということは、日本人として誇れることであると思う。
 3章「地球のあちこちで<外の言葉>で書いた人々」の中で「普遍語」「現地語」「国語」について次のように述べている。

 まずは、<普遍語>。日本語としては、<世界語>と言う表現の方がまだ落ち着いた感じがするが、英語の「universal language」に該当する表現としてここで使う。
 2つ目は、<現地語>。これは日本語として定着しており、英語の「local language」に該当する。
 3つ目は、<国語>。これは英語の「nationrl language」に該当する。(中略)ここでは、<国語>を、「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」を指すものとする。  (p105)

 また、ここの章からはこの3つの概念を中心に展開をしている。そして、「国語の父」については

 <国語>の父とよばれるようになる人のほとんどを特徴づけるのは、かれらが<普遍語>の流暢な操り手であったということであり、優れた二重言語者であったかれらは、広い意味での翻訳者、しかも優れた翻訳者にほかならなかった。  (p137)

と述べている。普遍語を流暢にこなす人がいなければ<国語>の先行きは不安であるといっているような気がする。
 4章「日本語という<国語>の誕生」の中で

まずは、<現地語>で書かれたものの地位が高く、<現地語>が成熟していたこと。
つぎに、「印刷資本主義」があったこと。
これらが、明治維新以降、日本語が名実ともにはやばやと<国語>として成立するのを可能にした、2つの、歴史的な条件である。だが、この2つは必要な条件であったが、充分な条件ではなかった。日本語がかくもはやばやと<国語>になったのには、もう一つ、絶対に欠くことができなかった3つ目の歴史的な条件があった。
 それは、日本が西洋列強の植民地にならずに済んだということにほかならない。  (p174〜175)

と述べている。明治維新以降の明治時代の数々の人々に感謝をしなければならないと思う。明治維新のころの偉人が数々の書物を西洋語から日本語に翻訳をしたことが、<国語>をはやばやと成立をさせるのを可能にしたたのだそうだ。
 また、明治初期の日本政府について

日本政府はなんと「科学技術とも関係ない、芸術論の根本である美学について」も訳させたのである。国家そのものの存亡が危うかったときの丸山がいうこの国家の「ふところの深さ」は、当時の混乱にあるだけではない。その根底には、まずは、加藤周一が常に指摘する江戸の高度に洗練文化がある。(p187)

と述べている。このころの国家というものはすばらしいものであったに違いない。
 この章の最後を

 『翻訳と日本の近代』の丸山真男によれば、福沢諭吉が漢字で造語した言葉には、「演説」「賛成」「討論」「版権」などがあるそうだが、今、それらの日本語はあまりにあたりまえになり、使うたびに福沢諭吉を思うことはない。福沢諭吉西周箕作麟祥中江兆民坪内逍遥ーその他数え切れない二重言語者による翻訳を通じて、日本の言葉は、世界と同時性をもって、世界と同じことを考えられる言葉へ変身していったのである。すなわち、<国語>へと変身していったのである。
 それだけではない。
 <国語>へと変身していったことによって、日本近代文学ーとりわけ、小説を書ける言葉へと転身していったのである。  (p195)

と結んでいる。明治の偉人たちにあらためて「感謝」の言葉を言いたい。
 5章「日本近代文学の奇跡」の中で

そして、重要なのはー世界的にみても重要なのは、このような非西洋の二重言語者である日本人が、西洋語という<普遍語>をよく読みながらも、<普遍語>では書かず、日本語という<国語>で書いた点にある。それによって、かれらは翻訳を通じて新しい<自分たちの言葉>としての日本語を生んでいった。そして、その新しい日本語こそが<国語>−同時代の世界の人々と同じ認識を共有して読み書きする、<世界性>をもった<国語>へとなっていったのであった。
そしてその<国語>こそが、日本近代文学を可能にしたのであった。  (p200)

と述べている。西洋語という普遍語を読み、同時代の世界の人と同じ認識を共有して読み書きするということが重要であったことが、この章を読むとよく理解ができる。現在はどうかというと、そうではないような気がする。
 この章の最後を

日本に数えきれないほどの文学の新人賞があり、日本列島全土に細かい網をはって、わずかでも書く才があれば拾いあげてくれるようになって久しい。すべての国民が文学の読み手でもあれば書き手であるという理想郷は、その理想郷を可能にするインターネット時代が到来する前、日本にはいち早く到来していったのであった。
だが、そのときすでに日本近代文学は「亡びる」道をひたすら辿りつつあった。  (p232)

と述べている。日本文学の理想郷が構築されたら、日本近代文学が亡びてしまうとは、まことに皮肉なものである。
 6章「インターネット時代の英語と<国語>」では、「文学の終わり」について述べている。「文学の終わり」を憂う根拠とは

1つは、科学の急速な進歩。2つは、<文化商品>の多様化。そして、3つは、大衆消費社会の実現。主にこの3つの歴史的な理由によって、近代に入って<文学>とよばれてきたもののありがたさが、今、どうしようもなく、加速度をつけて失われていっているのである。  (p234)

と述べている。やはり、時代の流れがそうさせているのだろうか。しかし、その後に次のように述べいる。

ほんとうの問題は、英語の世紀に入ったことにある。  (p239)

 このへんのところは、私はそうであると思うが、よく理解できない。

それは、インターネット上でいずれ実現し得る<大図書館>というものについて考えれば明らかである。  (p240)

と述べている。
 また、「<テキスト>の最たるものは文学である」(p253)とその次に述べている。インターネットにより英語の大図書館ができ、テキストである文学が英語になっていくことが非常に日本文学にとって危険であると、水村さんは言っているのではないかと思う。
 そして、次のように述べている。

優れた文学が近代日本で生まれるのを可能にした歴史的条件ーそれが、今、目に見えて崩れつつある。学問にたずさわる二重言語者が、<普遍語>で書き、<読まれるべき言葉>の連鎖に入る可能性ができてしまったからである。  (p260)

 また、次のようにこの章の最後に述べている。

このまま手をこまねいていたとしたら、これから四半世紀後はもちろん、五十年後、百年後、私程度 の者でさえ果たして日本語で小説を書こうとするであろうか。
それ以前に、果たして真剣に日本語を読もうとするであろうか。  (p265)

 このへんのところが、水村さんの言う日本語が亡びる危険性を含んだところではないのかと思う。
 7章『英語教育と日本語教育』の中で水村さんは

日本語が「亡びる」運命を避けるために何をすべきか。
何か少しでもできることはあるのか。
凡庸きわまりないが、学校教育というものがある。  (p266)

と述べている。この章の中では「学校教育」について書いている。そして3つの方針として

1は、<国語>を英語にしてしまうこと。
2は、国民の全員がバイリンガルになるのを目指すこと。
3は、国民の一部がバイリンガルになるのを目指すこと。 (p267)

をあげ、

日本が必要としているのは、世界に向かって、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材である。  (p276)

と述べている。国民の一部がバイリンガルを目指し、英語で意味のある発言ができる日本人を養成する必要があるのだ、と主張をしている。そうすれば、日本語は亡びずにすむそうだ。私もこの事について同感する。
 また次のように述べている。

 もし、私たち日本人が日本語が「亡びる」運命を避けたいとすれば、Ⅲという方針を選び、学校教育を通じて多くの人が英語をできるようになればなるほどいいという前提を完璧に否定し切らなくてはならない。そして、その代わりに、学校教育を通じて日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきであるという当然の前提を打ち立てねばならない。英語の世紀に入ったがゆえに、その当然の前提を、今までとちがった決意とともに、全面的に打ちたてねばならない。  (p284〜p285)

 確かに、日本語ができなければ英語もできないだろう。もっと、日本近代文学を読まなければならないのだろうと思う。
 そして、「この先五十年、百年、最も必要になるのは、<普遍語>を読む能力である」(p289)と英語を読む能力がの必要性を主張し、国語としての日本語を護ることが重要であると言っている。そして次のように続けている。

日本語の教育は日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである。  (p318)

 確かに日本近代文学は、そんなには今の日本人には読まれていないだろうし、興味もなく忘れ去られようとしているのかもしれない。
 そして、この本の最後に

私たちが知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日本語とはこんなものではなかった。そう信じている人が、少数でも存在している今ならまだ選びなおすことができる。選びなおすことが、日本語という幸運な歴史を辿った言葉に対する義務であるだけではなく、人類の未来に対する義務だと思えば、なおさら選びなおすことができる。
それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神であるように。

 できれば日本語が「亡びる」過程を正視したくはない。なんとか日本語は世界の中で生き続けてもらいたいものだ。