「ねじまき鳥クロニクル第1部、第2部、第3部」村上春樹著を読んで
「ねじまき鳥クロニクル第1部、第2部、第3部」村上春樹著を読んでの感想と気になったところを書いてみることにする。
「ねじまき鳥クロニクル第1部」
あの人たち儲かってしかたないんだから。東南アジアとか、そういう工賃の安いところでかつらを作らせてるの。毛髪だって、そっちで買いつけているのよ。タイとかフィリピンとかで。そういうところの女の子たちが髪を切って、かつら会社に売るの。それが場所によってはその人たちのお嫁入りの資金になるのよ。世界ってホントに変わってるわよね。このへんにいるどこかのおじさんの髪は、実はインドネシアの女の子の髪だったりするのよ (p206)
というところがあるが、これは主人公の僕が笠原メイからかつらのメーカーのことについて説明をしている一節である。実際のところはわからないが、ありそうな話であると私は思い、クスクスと読みながら笑ってしまった。
「これはと思う人間には思い切って金を出し、機会を与えるんだよ」と叔父は僕にいったことがある。「金で買えるものは、得とか損とかあまり考えずに、金で買ってしまうのがいちばんなんだ。余分なエネルギーは金で買えないもののためにとっておけばいい」 (p214)
これは僕の叔父が言っていた言葉である。この叔父は事業で成功しており重みのある言葉であると思う。なにからなにまで自分でやる必要もなく、専門性の必要な仕事は有能な従業員を雇ってやってもらえばいいのである。とても合理的な考え方である。
叔父の手を「マジックタッチ」と自ら叔父はよんでいた。
この第1部でなんといっても一番印象に残ったのは「間宮中尉の話」である。ノモンハン事件を題材に使ったこの部分の描写は震えがくるような感じさえもした。人間の皮剥ぎや井戸の中の間宮中尉の様子などとても衝撃的なものであった。
「ねじ巻き鳥クロニクル第2部」
僕という人間は結局のところ、どこかよそで作られたものなのでしかないのだ。そしてすべてはよそから来て、またよそに去っていくのだ。僕はぼくという人間のただの通り道に過ぎないのだ。 (p170)
これは僕が笠原メイと話している時の一節である。僕は自宅の近くの深い井戸の中、メイは井戸の上という地下と地上でのやとりである。なんと説明していいのかわからないが、印象的な部分であった。
第2部は僕が近所の井戸の中に長くいたところがとても印象に残った。笠原メイとのやりとり、井戸の壁をぬけてどこかのホテルの一室にいったところなどの部分だ。井戸の中で間宮中尉と僕がなにか同化していくような感じがした。
「ねじまき鳥クロニクル第3部」
何があってもあの井戸を手にいれなくてはならない。 (p40)
と僕は思い、あの近所の井戸を土地つきで買うことになる。これは井戸の壁をぬけあのホテルの一室にどうしてもいきたいと思う気持ちが非常に強いからだである、ということもひとつの原因となっているのかもしれない。
やがて井戸のある土地を僕は買い、ナツメグによって事業も軌道にのる。しかし、政治家になった義兄の邪魔もあり、事業はやめざるを得なくなった。結末は私が想像していたものとはだいぶ違うものとなったが、兄との戦い、妻を取り戻そうと必死にする僕の姿はとてもおもしろかった。この第3部が私には一番おもしろかったと思う。
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