「東大のこと、教えます」小宮山宏著を読んで

 先日、購入した「東大のこと教えます」小宮山宏著を読んでの感想を書いてみる。
 第1章「東大にしかできないこと」の「東大には、海外から優秀な教授を引き抜く力がありますか→東大にはあるが、問題は日本のインフラ」の中で小宮山さんは

 千葉県と柏市、流山市、千葉大学、そして東大の五者で、環境に配慮した国際学術都市をつくる計画を、06年12月から本格的に開始した。私が総長に就任した直後の05年5月頃から、千葉県知事の堂本暁子氏、柏市長の本多晃氏、流山市長の井崎義治氏、千葉大学学長の古在豊樹氏、それに私の5人で話し合ってきた。なかでも堂本氏は「柏市を、日本のパロアルト(シリコンバレー発祥の地)にしましょう」と張り切っておられる。私も無論そのつもりだ。
(p36〜p37)

 と述べている。千葉県柏市でなくてもいいが、ぜひ何年かかっても実現させてもらいたい計画である。やはりインフラが問題なのだろうか。
 同じ第1章の「中国やインドの優秀な学生に、東大で学んでもらうには何をすべきですか→奨学金と現地事務所、そして「取りに行く」姿勢」の中で小宮山さんは

 中国やインドからではなく、ロシア、東欧、中東などからも、たくさんの優秀な学生が東大にやって来るようにしなければならない。待っているだけではなく、こちらから取りに行くくらいの気持ちがなければ駄目だ。武器は、授業料の免除と奨学金の支給、それに学生宿舎の充実である。  (p42)

 と述べている。優秀な人材には、小宮山さんが主張するように、お金をかけても私はいいと思う。奨学金が少ないために、アメリカの州立大学に中国の優秀な学生をとられてしまう、という悔しい思いをするのなら、ぜひそうしてもらいたいと思う。
 同じ第1章の「東大の卒業生が金儲けに走るのは、もったいないと思いますか→金儲けも程度を超えれば、魚を獲る楽しさと同じ」の中で小宮山さんは

 日本に欠けているのは、実験しながら社会に新しい仕組みを導入するという精神だ。  (p48)

 と述べているが、私もまったく同感である。
 また、同じところで小宮山さんは

 先進国となった今、失敗も覚悟で新しいことに挑戦していこうとする芽を奨励して伸ばしていくことが必要なのに、あのような形で挑戦者を叩いて潰してしまったことによる弊害は大きいと思う。私にはそちらのほうが気になっている。

 と述べている。挑戦者とは、村上ファンドのことだ。村上ファンドはどうであったかは、私にはわからないが、挑戦者を叩いて潰してしまうということはあってはならないことだと思うし、新しい仕組みはこれでは生まれてこないと思う。
 同じ第1章の「東大で教養教育を廃止しなくてよかったですか→専門教育以上に教養教育は大事だ」の中で小宮山さんは

 今、駒場キャンパスのなかの銀杏並木の一等地に、「理想の教育棟」という大規模校舎を新築する計画をしている。ここには、自発的に実験ができる設備を装備する。また、インターネットなどを活用し、学生と教員間、さらには外部社会や海外なども含め、双方向のやりとりが生まれるように工夫したつくりで、教養教育の牙城にする予定だ。目下、スポンサーを探している。 (p58)

 と述べている。スポンサーが見つかり計画が実現されば、とても素晴らしいことであると思う。早く実現をして欲しい。
 また、「東大生はハーバード大学の学生と互角に議論できますか→もちろんだ」の中で小宮山さんは

 語学は若いうちにやれば効果が上がるものだ。東大生に限らず、これからの若い人たちの英語に対するアレルギーはどんどん減っていくだろう。(p62)

 と述べている。私もこれからの若い人たちが英語に対するアレルギーがどんどん減っていくことに期待したい。また、東大生が英語でハーバード大学の学生と互角に議論できるということは、日本の将来も非常に明るい方向にすすんでいきそうな気がする。
 同じ第1章の「お金持ちの家庭でないと、東大に入れないのでしょうか→親の年収データは、正確なのか見極めるべき」の中で小宮山さんは

 2005年、東京大学新聞(現役大学生がつくる週間新聞。1990年創刊)が「私はこう見る東大2050」という連載企画を始めた。その第1回を私が依頼され、そこにこの設問の回答と似たようなことを書いた。2050年には、学生の半分を社会人と外国人が占めるようにしたい。  (p69)

 と述べている。外国人と社会人が学生の半分ということは、親の年収も関係ないということだ。そうなったらとても面白いし、いろいろな意味で知の構造化がすすんでいくと思う。
 第2章「東大がニッポンを変える」の中の「どうすれば世界における日本の地位が上がりますか→コンセプト先行型でいこう」の中で小宮山さんは
 日本のGDPが世界の11%、世界の5%に満たないCO2を排出し、アメリカはGDPが世界の約4分の1を占め、ほぼ同じ割合のCO2を排出しており、世界の中でも「環境先進国」である、と述べている。その辺をうまくアピールできていない、というのが小宮山さんの主張である。もっと、コンセプト先行でいけば、日本の地位も向上していくと言っているが、私も同感である。
 同じ第2章の「アジアの国と仲良くやるにはどうすべきですか→そろそろ過去より未来に目を向けるべきだ」の中で小宮山さんは

 日本がアジアで戦争を繰り広げたのは事実だ。しかし、半世紀以上も前に終わった戦争について、日本のここが悪かった、いや悪くなかったと言い合っても、埒が明かない。それよりも前向きな議論、つまり同じアジアの国としてアジア特有の問題にどう貢献できるかを考えるべきである。  (p77)

 と述べている。まったく、その通りだと思う。前を向いてすすんでいくことが大切なことであると思う。
 同じ第2章の「なぜ日本にはグーグルのような企業が生まれないのですか→途上国根性は早く捨てなさい」の中で小宮山さんは

 日本人が途上国根性を払拭し、「世界にまだないものを新しくつくってやろうじゃないか」という意識を持つことができたとき、初めて日本に「グーグル」が生まれるはずだ。  (p84)

 と述べている。近い将来日本にも「グーグル」が生まれてくるかもしれない、と私は思う。
 同じ第2章の「少子化を食い止めるにはどうしたらいいですか→いかに「うらやましい」と思わせられるか」の中で小宮山さんは

 少子化を食い止める切り札は、デンマークのように、仕事をいかに早く切り上げることができるかだと思う。短時間勤務が可能な環境であれば、仕事を持っている女性でも十分、家事や子育てができる。女性が忙しいときは男性が肩代わりしてもよい。  (p90)

 と述べている。この辺のところが、日本はまだ整備されていない。時間がかかりそうな問題であると思う。
 同じ第2章の同じところで小宮山さんは

 話は飛ぶが、同じ理屈が研究者の育成にも当てはまる。優秀な学生が研究者としての道を歩もうとせず、企業に流れてしまうのも、大学教授の仕事が魅力的だと思えないからなのだ。(p92)

 と述べている。子供を持つ事、子供を育てることが、現在はうらやましいとは思われていないのかもしれない。反省せざるを得ないことだと思わなければならない。社会の仕組みも個人の考え方も大きな変化がなければ、少子化の問題は解決できないと思う。
 同じ章の「わかい世代の理科離れをどう思いますか→大人は科学に興味を持っているか」の中で小宮山さんは

 親が科学に興味を持ってご覧なさい。子供も興味を持つに決まっている。子供のことをとやかく言う前に、まず大人から始めよ、である。  (p95)

 と述べているが、非常にに耳の痛い言葉である。子供は親の背中を見て育つという、まさにその事を言っている。反省せねばならない。
 また、同じ第2章の「若い世代の活字離れを食い止めるにはどうしたらいいと思いますか→ネットの情報だけでは、頭がばらばらになってしまう」の中で小宮山さんは

 若者の活字離れをとやかく言っても仕方がない。小学校・中学校・高校、そして大学も含めて、「先生たちがもっと本を読め」と声を大にして言いたい。そして、「親が大人が本を読め」と言いたい。  (p98)

 と述べている。正直、ここの部分は笑ってしまった。まさにその通りなのであると思うからだ。
 同じ第2章の「小学校で英語を教えることに賛成ですか→中高でできることがまだまだある」の中で小宮山さんは

 やりたい学校がまず実験的に始めてみる。その結果をよく検討したうえで、全体に広げるべきかどうか考えていくべきだ。日本に圧倒的に足りないのは、この「実験する」という精神である。  (p101)

 と述べているが、まったく同感である。
 第3章「東大だってお金がほしい」の中の「自分の研究ばかりで学生の教育をしない教員は、いてもいいのですか→研究成果があってこそ、良い教育ができる」の中で小宮山さんは

 ところが、学生の教育など頭の片隅にもなかった頃に受け持っていた学生に会うと、意外にも「すごく勉強になった」と言ってくれる。教育にこれといった理想形はない。教員本人が必死にもがいている姿を学生に見せるのも教育なのだ。  (p126)

 と述べている。教育者としての経験はない私であるが、そういうものなのかとあらためて感じた。
 同じ第3章の「何歳までなら子供は親の脛をかじってもいいですか→22歳」の中で小宮山さんは

 「世界の先進国で、将来国を背負って立つ可能性のある若者に、大学院の授業料を払わせているのは日本の大学だけ」という驚くべき事実を知っておいたほうがよい。  (p133)

 と述べている。うらやましい限りの話であると思う。
 第4章「【番外編】東大総長の胸のウチ」の中の「協業したいと思う経営者がいますか→大構想「アジアの水田」に賛成してくれる人、求む」の中で

 今こそ、日本企業が先陣を切って取り組むべきだと思っていることがある。それはアジアの水田の大規模活用である。水田からエネルギーをつくり出すのだ。  (p157)

 と小宮山さんは述べている。日本の農業技術をもってすれば、今の3倍の米が収穫でき、その米でエネルギーを作り出せると言っている。環境保護も考えた上での小宮山さんの主張だ。ぜひ取り組む日本企業が現れてくれることを期待する。
 特別対談「小宮山宏VS梅田望夫」の中の「梅田さん、東大の先生にはなりたくない?」の中で

小宮山 20世紀は知識が爆発的に増えました。その結果、学問分野もいくつもの専門にどんどん細分化されて、全体像を見ることが難しくなっています。知識をより効率的に活用するためには、増え続ける知識間の相互の関連づけが必要だと。それを「知識の構造化」と名づけて、そのために東大でも具体的な取り組みを始めています。  (p174)

 と述べている。また、

小宮山 僕の発想で、東大では05年から教養課程の1〜2年生向けに、「学術俯瞰講義」を始めました。これは、学術全体を六つの分野・・・・物質、生命、数学・情報、人間・環境、社会・制度、哲学・文学・・・・に分け、それぞれのテーマについて、数名の専門家が講義をするというものです。(p174)

 と同じところで述べている。これは、小宮山さんが新しい取り組みとしてやっていることであるが、私は面白いと思う。
 また同じ特別対談の中で小宮山さんは

小宮山 それこそ東大に欠けている典型的なものかもしれないと僕は思います。ダメな理由、うまくいきそうもない理由は、探せば100でも見つかるからね。うまくいかない理由を100でも探してくるのが日本のトップエリートの得意中の得意なんです。ダメな理由が100あったって、うまくいく道が1つでも見つかれば、それでいいわけですよ。  (p184)

 と述べている。何かをやるときに、うまくいかない理由をいくつもあげる人は、日本の世の中にはたくさんいる、と私も思う。「うまくいく道が1つでも見つければ、それでいいわけですよ」という言葉はとても参考になると思う。
 同じ対談の中で

小宮山 10年以上前から、日本にもシリコンバレーをつくるべきだっていう人はいたんだよね。だけど、もともとフロンティア・スピリッツのあるアメリカと違って、そう簡単にできないんじゃないかな。
梅田 若い世代がつくりますよ、必ず。あと20年ぐらいはかかるかもしれないけど。  (p188)

 というやりとりがある。梅田さんの言葉を信じて20年後を楽しみにしていたいと思う。
 また、対談の中で小宮山さんの「東大教授には、なりたくない?」ということに対して、梅田さんは

 組織に属さないでこれだけ大きなことができるっていうのを、身をもって示したいんです。大学で教えることはすごく大事だと思いますが、同じエネルギーがあったら、僕はネットの向こうにいる不特定多数に向かって、自分で考えていることを語り続けたい。東大で僕の授業を受ける100人は、優秀かもしれないけど、本当に僕の話を聞きたい順に上から100人ではないでしょう。ネットでは、何かを本気でやっていると、志を同じくした人たちがマグネットみたいにつながってくるんです。そっちのほうが面白いですね。

 と述べている。梅田さんらしい発言である。これからもネットで自分で考えていることを語り続けてください。
 この著書は質問形式で著者の小宮山さんが、その質問に答えていくという形式になっている。今まであまり知らなかった東大のことが、少し理解できたような気がする。また、小宮山さんがこれからの日本と東大について、どういうことが必要なのか、どういうふうに進んでいったらいいのかを示してくれたと思う。