『私小説ーfrom left right』水村美苗著を読んで

教室の隅には星条旗が立っていた。それに向かって直立し、右手を胸にかけて忠誠を誓うことからアメリカの朝は始まった。中学校に通い始めた私はルースリーフにノートを取ること、そのノートを閉口するほど大きなbinderに入れること、そしてその閉口するほどぶ厚い教科書を何冊も重ね、うしろから突き飛ばされたら両腕がふさがって前につんのめる他はないような不自由な格好で通学するころを知った。もっともその晩家で勉強する気さえなければ、すべてを自分と等身大のロッカーに投げこみ手ぶらで帰ってもよいことも知った。アメリカの中学生にとっての世界地図というものが、ユーラシア大陸を容赦なくまっぷたつに割り、アメリカ大陸を中央にもってきたものだということも知った。彼らの学ぶ世界史というものが、近代に至るまでどこまでもイギリスびいきなこと、それが、独立戦争の直前くらいから急にイギリスを悪者に仕立てあげることも知った。自国の歴史といえどもアメリカの北部と南部ではまったく別なのも知った。日本とちがって授業中に足を組んでも叱られなかったのは、なにしろ先生自身が机の上に斜めに腰をかけ、足を組んで授業をしたぐらいだったからである。放課後となれば買喰いをしようが、寄道をしようがいっさい自由であり、しかも誰もそれを悪いことだとも思っていなかった。本来法律違反の未成年喫煙ですら、校内、そして学校に面した歩道において禁じられているだけであった。学校側は学校の敷地を離れた生徒の人生に立ち入る気も権限もなかった。日本で奈苗がよく口にしていた補導員などという言葉はたちまち死後となった。
アメリカの女の子たちの早稲な色情ぶりも知った。そもそもこの国では男女の交際というものは恥ずかしいどころか、誇らしいもの、奨励されるべきものなのであった。女の子たちは腕時計もハンカチももってこないくせに、なぜかpocketbookとよばれるハンドバッグに、あきれるほどいろいろの女らしいものを入れて学校に通った。そして休み時間にはGirlsとよばれるトイレで、鏡の前に仁王立ちのなり、左右の友達とにぎやかにさえずりながら時間の許す限り髪をとかしたり化粧を直したりした。私は彼女らを真似てpocketbookを買ってもらったし、ストッキングはもちろんのこと、ガーターも、そしてどう考えても何の必要もないのにブラジャーも身につけることを学んだ。朝にシャワーを浴びることも、そのあとカーラーで髪を巻くことも、美容院のものだと思っていたドライヤーが必需品であることも学んだ。Gymのロッカーにはディオードラントの鼻を突く匂いが充満したが、これは露わに見せつけられる級友たちの早くも成熟した身体の必然からくるもので、私が真似する必要はなかった。(p184〜p186)

長い引用となったが、なかなかアメリカのことをよく表現していると思う。私からみていいと感じること、違うだろうと感じることが入り乱れている。今となっては違うだろうというところが多い気がするが。

黒人の女といえばメイドだったというのは、昔銀幕でメイドの役ばかり演じて有名になった黒人の女優が、よくも屈辱的な役ばかり演じてとなじられた時、あたしにとって実際にメイドとして働くよりメイドとして働く役を演じた方がずっとましだと切り返したという有名な逸話にも残っている。(p256)

 この話はとてもおもしろい。確かにメイドとして働くよりメイドの役を演じるほうが報酬は多い。また名声も得られる。
 読みたいと思った時が絶版であったため、熱がさめてから読むことになってしまった。アメリカ社会の中で生きる日本人の事がよく表現されていてとても面白かった。現在ではこの小説の中での日本人の扱いよりよくなったと思われる気がする。

私小説―from left to right (ちくま文庫)

私小説―from left to right (ちくま文庫)