『民間暦』宮本常一著を読んで

民間暦第2部「神を招く木」

神を向かえるためには、神の来り給うための目じるしが示される。いわば神を招く木である。正月の門松はその神を招く木であった。今日ではまったく飾りとなってしまって、松の若木を伐ることは国策に反するとか、あるいは然らずとか議論のあるのをしばしばきくが、神を迎える形式としてはいちおう必要であった。  (p186)

 ここの部分で門松の意味が述べられている。私は単なる飾りとしてしか考えていなかったので、非常に参考になった。このことだけではなく、いろいろ日本の古くからの行事の意味が、いろいろ書かれていてとても勉強になる。
「年占い」

盆または名月の夜に、部落が二つに分かれて綱曳きをする所が多く、南九州ではこれを名月におこなっているが、やはり年占いの意味をもっている。単なる競技ではなく、綱曳きはお月様の御覧に入れるのだとのことで、屋久島や宮崎県南部では、綱はあとでお月様にお供えしている。村はずれの岩の上に綱が積みあげてあるのを、私はあの地方でみかけたことがある。屋久島の南岸ではこのとき上の組が勝てば豊作、下の組が勝てば不作といっていた。そうすれば下の組の方が負けるようにすればいいのだが、いざとなると負けられぬものだそうである。(中略)
 村はずれに引っ張るだけなら東日本一帯にみられる。すなわちシメ縄の意義を持ってくる。
 今日運動会でおこなわれる綱曳きは、競技の一つとしてなくてはならぬもののようにしているが、ことの起こりは右のように必ずしもただ引き合ってたのしむものではなかったようである。  (p256〜p257)

 綱引きについて書かれた一節である。綱引きにこんな意味合いがあったなど、ついぞ知らなかった。
「むすび」

田舎が急にさびしくつまらなくなってきたのは、晴れの日の行事がいたずらに制御されて以来である。それで雑用は何ほども節約にならなかった。大阪の郊外のある村では、節日の行事節約の取りきめからかえって生活費の高くなったことをきいた。村で遊べなければ、ひそかに町へ出ていって金をつかったのである。そうして村全体でたのしもうとする風はなくなって、一人ばかりが面白がろうとするようになったという。
それがさらに今度の戦で真剣に新しい生活を設計しなければならなくなった。
過去において節日の振る舞いのはなやかであったということは、和平の久しかったことを物語るものである。文芸はそういうところに生まれた。芝居も人形浄瑠璃も単に遊芸の徒のなかから生まれたものではない。舞、踊りの類もみな神を迎えての振る舞いに源を発し、和平とともに芸能として発達したのである。
ただ過去の人々には今日のごとき衛生思想も経済理念もなかったかもしれない。そうしてその考え方も今日からみれば誤れるものが多かったであろうが、行事の一つ一つをみるとき、われわれの祖先も神の冥護を信じ、その指示に従って生活を懸命に打ちたてんと努力し、また、これを子孫に伝えて繁栄せしめんと祈ったものであることを感ずる。
そしてわれわれは、その人たちの子孫なのである。  (p286)

 この「むすび」は全文を読む価値があるものであると思うし、とても重い言葉であるとも私は思う。「今度の戦」というのは先の「太平洋戦争」のことであるので、とても昔に著者が述べたことであるが、今でも同じようなことがいえると思う。

民間暦 (講談社学術文庫 (715))

民間暦 (講談社学術文庫 (715))