『遠野物語』柳田国男著を読んで

 『遠野物語』の中で「ザシキワラシ」や「日本狼」に「河童」が登場する物語は興味深く読むことができた。「九一」の中で山の神の祟りで男が死んでしまう物語があった。これは男が山に入って「山の神」の邪魔をしてしまったことにより、その男が死んでしまうという物語である。自然の中で人間がやってはいけないこと、また自然の中で入ってはいけないところがある、ということを昔の人が伝えようとしてこういう話を伝えっていったのではないかと私は思った。
 『遠野物語拾遺』の中の物語は興味深いものがたくさんあった。「川の神」「石の神」「盲神(めくらがみ)」などの話はとてもなにか考えさせられるものがあった。特に「二八」(p92〜p93)の「堰神」の話は人柱が登場する話でとても印象に残る話であった。人間悪だくみをするとろくな事はない、ということをいわんとしているような気がした。しかし、悪行をしても神となった後は人のために役だっているということを伝えており、とてもいい話であると思う。
 「五一」〜「五五」(p102〜p103)の話も興味深いものがある。子供が木像や観音像をころがして遊んでいるのを見ていた大人がとがめる。そうすると、大人が具合が悪くなってしまう。仏様が具合の悪くなった大人の枕元にたち、子供とせっかくおもしろく遊んでいたのになんで邪魔をしたといって大人を怒る。大人はそれはすまないことをしてしまったと仏様に謝ると、たちまち元気になった、というような話である。子供が神様と遊んでいることが、大人には単に悪ふざけとしかうつらない。これは当然のことであると思う。でも注意をした大人を悪く表現しているということは、子供のすることは少しくらい大目にみよということを言わんとしているのかもしれないと私は思った。
 「一八一」(p158)「家のあたりでるへびは殺してはならぬ」ということをいっている話である。家のあたりにでるへびはその家の先祖であるそうで、殺すと病気になったりもするそうだ。時にはいたこを通じて先祖にあやまるようなこともあるそうだ。昔私も同じような話を親から聞いたような気がするが、このようなことがあるのかもしれない。
 「貉」の話も非常に面白かった。貉が寺の住職に化けていたという話である。また、「天狗」が登場する話、「人身御供」の話なども興味をひかれた。
 ひとつひとつの話が短く、なかなか考えさせられる話がおおかった。また、再読をするべき著書のひとつになると思う。

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)