『庶民の発見』宮本常一著を読んで

貧しき人びと」の中の「私有財産」の中に

主人の一存で泊めてくれるような家はだいたい東日本に多く、主婦に相談してから泊めてくれるのは西日本に多かった。これで私はその家ーひいてはその村の気風を判断するのである。(p52)

というところがある。こんなところにも東と西の違いがあるのだろうか、というふうに感じた。しかし、現在はなかなかこういう線引きはなくなってしまっているのではないか、と思う。
また、「山村に生きる」の中の「芸北紀行」の中に

人々が山間に住みついたときの姿が、ここにはそのまま残っているのである。ひらくべき余地のあるところをみつけると村共有地なら村へ、地主があれば地主に了解を得て、耕地のほぼ真ん中に家をたて、周囲の畑を耕し、裏の山で薪をとり、耕地のほとりの腰山で草を刈り、労力があまえれば川舟ひきにも出たものであろう。そして年老いて死ぬると耕地の一隅にうずめてもらって、家の先祖になったものと思われる 。
その土地をひらき、その家をたてた者を家の先祖としてまつるふうは各地にみられ宮崎県米良の山中では地主様といって神にまつっている例もみられる。  (p164)

という話がある。よく田んぼの中にお墓があるのは、こういう流れのものなのだろうか。こういう話をきくと、先祖を敬うという精神もわからないではないと思う。
「村里の教育」の中の「一人前の完成」の中に

若者入りは通常十五歳のころにおこなわれるが、制度のととのっている団では、たいてい若者条目のよみきかせをおこい、それを守ることを誓って入団するのがふつうである。若者条目でとりきめられたことはいろいろあるが、各地にほぼ共通したものをあげてみると、
親に孝行をすること
神仏をうやまうこと
ばくち打ち・大酒飲みをしないこと
けんかをしないこと
仲間内でわがままをしないこと
火事・盗人の取り締まりをすること
などであって、これをおかした場合には、仲間の者から制裁される事になっていた。その制裁にはいろいろの方法があった。まず罪のかるいものは吟味といって叱りおく程度、つぎは罰金科料をとるもの、お叩きといって体罰を加えるもの、いちばん重いものは、組みはずしにすることで、そういう場合には責任者がついて詫び証文をいれてゆるしてもらうことがあった。  (p219〜p220)

という「若者入り」の話が登場する。なかなかいい制度であると思う。
また、「民話と伝承者」の中の「生活規範としての民話」の中に

昔話をよんでいると、農民が求めたもの、理想したものが、何であったかがよくわかるのである。愚直だが誠実で、決して権力に屈しない。愚かでなまけ者にみえてもう、三年寝太郎は千町歩の荒地を美田にするために寝てもさめても考えていたのである。一般の人にはそれがわからなかったまでで、愚人変人にみえてもけいべつしてはいけなかったのである。そして人間は寛容であらねばならず、寛容は人間のもっともとうとい美徳の一つであることが昔話の中にしきりにとかれている。また長者の聟になる下男の話など、ほんとうの愛情さえあれば階級などたいして問題でないことを教える。農民として、そういう考え方や見方を生命の一部として、からだにしみこませることが、村という共同体の中で生きてゆく上に何よりたいせつなことであった。  (p239〜p240)

という「昔話」について述べている部分がある。これは私はとても重要な「考え方」であると思う。
「民話と伝承者」の中の「民話を保持する世界」の中に

その二には人間のもつ誠実であった。ここに、われわれは民衆の考えた人間の理想の姿を見ることができる。兄弟優劣や継子譚は昔話の中でもっとも多く語られ、かつもっとも庶民性のつよいものであるが、その善玉のほうの共通した性格は、実におっとりしていて正直で、時には馬鹿のようにさえみえる。人をうたがわず、また自らのうける労苦というようなものに対しても、それがあたりまえだと思って、すこしも屈するところがない。その上きわめてふかい愛情をもっている。こうした人間は決して出しゃばりではない。つまり英雄的な色彩は乏しい。しかし、どのような苦難にもたえてゆく力をもっている。しかも、これには本物とニセ物があり、ただ幸福を求めようとして真似をしたのでは必ず失敗するのである。
では鍛練せられた目立たない善意がなぜ尊いか、成功する力をもつかということは、そういう人間にはあらゆるものの協力がある。虫も鳥も獣も話しかけてくる。そとして味方である。 人間の目で見えないものを見せてくれ、耳できけないものをきかせてくれる。しかし本人は謙虚であり、自分にそういう力のあることを自覚していないで、つつましく行動しているのである。ところが、これに小ざかしい知恵がはたらくとたいてい失敗する。狐や狸にいたずらされたり、かくれ蓑の失敗の話などにはそういうものがみられる。才智の成功した話もあるが、それは多く笑い話として語られている。
こうした人間像が庶民の頭の中には抽象せられないかたちで描かれている。
実はそういう人間の姿こそ、本当に自然に調和したものであり、幸福なのであった。とくに人間が人間以外の世界を感得できるということは、農耕を中心にした社会においては、もっとも重要な願望であった。そして、そういう能力をもつことが人間を人間としての孤独から救ったのである。  (p270〜p271)

という考え方が述べられている。なかなか感慨ぶかいものがあった。
また、「民話と伝承者」の中の「伝承者の系譜」の中に

近世以前の人たちが、それらの目にみえない不幸の原因と考えたものは、大きく分けてほぼ五つになるかと思われる。その一は祖先の祭りをおこたっていること。その二は他の何者かのうらみを買っていること。その三は自然の中に存在するもろもろのものの声、また啓示に気がつかなかったこと。その四は前世の因縁。その五は火の神(荒神)清浄をもたなかったことである。  (p284)

という「不幸の原因」について述べられている。なんとなくわかるような気がする。
いつも思うのだが宮本常一さんの著書を読むと、心があらわれる。また、新しい発見や昔のいろいろなことが深くわかる。もちろん庶民についてのことであるが。

庶民の発見 (講談社学術文庫)

庶民の発見 (講談社学術文庫)