『アンダーグラウンド』村上春樹著を読んで
800ページ弱に渡る長編ノンフィクションである。東日本大震災の前から読み始め、震災後ずいぶん日がたってから読了した。とても震災後この内容のものが読む気持ちになれなかったからだ。印象に残ったところを書き出してみようと思う。
憎しみは何も生み出しません。 (p89)
これはサリン事件を体験した豊田利明さんの言葉である。おっしゃるとうりだと思う。
いずれにせよ、僕はマスコミのオウム報道はすごくイヤでした。そんなもの見たいという気はまるで起きなかったです。。そうですね、マスコミに対する不信感が強くなりましたね。結局みんなスキャンダルが大好きなんですよ。「大変でしたね」と言いながら、それを楽しんでいるんだ。最近では週刊誌を読む気もなくなってしまいましたね。
(p123)
園秀樹さんの言葉である。今のマスコミ報道もいっこうに変わってないと思う。
サリンの袋を拾いあげたことですが、それは僕がたまたまその場にいあわせたからやったというだけのことです。もし僕がそこにいなかったら、別の人がかわりに袋を拾い上げていますよ。やっぱり仕事というもの責任はまっとうしなくちゃいけない。知らん顔はできないでしょう。 (p190)
地下鉄の職員の西村住夫さんの言葉である。プロ意識の高い人であると思う。
結局事件後すぐに連絡をいただいて、必要な資料を送っていただいたのは、信州大学医学部だけです。その連絡は最初の患者が来る前でしたから、とにかく速かったですね。さっきもお話したように、どの程度までの患者をケアするべきかというラインを知る上で、これは現実的に役に立ちました。あとで御礼状えおファックスしておきました。
(p284)
これは救命救急センター医師の斎藤徹さんの話である。最初の患者が来る前にこのような資料が届くとはとても素晴らしいことであると思う。
でも今回のこの事件については、私には私なりの一つの思い入れみたいなものがありました。といいますのは、松本サリン事件のときに亡くなった七人の方々の中に、信州大学医学部の学生が一人いたのです。女子学生でしたが、非常に優秀な学生で、本来ならその日の卒業式に卒業生として出席しているはずでした。そのことが私の胸に引っかかっていたのです。 (p377〜p388)
信州大学医学部長柳澤信夫さんの言葉である。すごい人だと思う。緊急医療のことがよく語られている。
こういう緊急の事態には官庁とか公のものっていうのは、あんまり役には立たないものなんだなって。 (p526)
奥山正則さんの言葉である。今回の東日本大震災でも同じことを感じた。
私がいた小伝馬町の駅前、その一角は確かに異常事態なんです。でもそのまわりの世界はいつもどおりの普通の生活を続けているんです。道路には普通に車が走っているんです。あれは今思い返しても不思議なものでしたよね。そのコントラストが、ものすごく不思議だった。ところがテレビの画面だと異常事態の部分だけが映されます。実際の印象とは異なったものです。それでテレビというものは怖いものなんだなと、あるなんて改めて思いました。 (p527〜p528)
これも奥山さんの言葉である。「テレビというのは怖いものなんだな」というところ、これがとても印象的であった。
だから僕は犯人に対して、個人的な憎しみを持たないように心がけているんです。恨んでどうなるものものではないですからね。仲間が何人も死んだことについては、それはその時には激しい怒りを感じました。ここは仲間意識、家族意識の強い職場ですからね。でも残されたご家族の方に、僕らがほんとうに何かをしてあげられるか?何もできないですよ。
またこんなことがあっちゃいけない。それがいちばん大事なことです。だからこそ、みんなにこの事件のことを忘れないでいてもらいたい。僕がこうして喋ったことが活字になって、少しでもあとに残って、皆さんに覚えておいてもらうための役に立てばいいなと思います。それだけです。 (p538)
これは営団地下鉄職員の玉田道明さんの言葉である。こんなことは二度とあってはならないと同感する。
でもおかげで韓国語の勉強だけはよくできました。目はダメなのに頭だけは働いておりますので、語学のカセットを聴いていたんです。これは今回の事件での数少ない良い点でしたね。その時に覚えたのですが。韓国語にこんな言葉があるんです。「殴られた人(マジュンノム)は体を伸ばして寝ます。殴った人(テルンノム)は体を縮めて寝ます」。つまり殴られた人は痛いけれど、本当に心が痛むのは殴った人の方だということですね。もちろん重症に苦しんでおられる方にこんなこと言ったら怒られるでしょう。それぞれに立場や考え方がありますからね。でも誤解を恐れずに言うなら、それが今の私の実感です。しばらくは「この野郎」と思っていたが、今ではいろんな事をもう少し客観的に見られるようになりました。 (p568〜p569)
これは石原孝さんの言葉である。確かに「殴った人」の方が心は痛むはずだ。
すると誰かが「もう間に合わない。救急車なんか待っていたら、命は絶望だ」と言い出して、「道を走っている車を停めて、全員連れて行ってもらおう」ということになりました。 (p589)
これは尾形直之さんの言葉である。こういう判断を瞬時にしてしまう人はすごいと思う。
またPTSDの治癒態勢がいまだに確立していないことや、国が被害者の置かれている現状を正確に把握してないことなんかを、僕としてはこれから訴えかけていきたいと思っているんです。 (p594)
これも尾形さんの言葉である。こういう活動は必要であると思う。
ちょうどそのあたりで工事をやっていたんですが、そこの工事現場にいた人が声をかけてくれました。その人が通りかかる車を片っ端から止めてくれたんです。普通の車とか、商業車とかヘルメットをかぶっていたから、それはきっと現場の人だったんでしょうね。そして止まった車に次々被害者を乗せて、病院まで積んで行かせました。ワゴンなんかが来ると、そこにどんどん詰め込んでという感じで。小伝馬町の場合は一般車にずいぶん助けられたと思いますね。 (p632)
これは伊藤正さんの言葉である。尾形さんと同じ場所にいらしたと思われる。この工事現場の人の行動力はとてもすごい。
でももうひどい渋滞で、車がぜんぜん前に進まないんです。距離にしたらせいぜい二キロくらいなんだけれど、途中でメーターは二千円を超えてしまいました。僕は追加分を払おうとしたんですが、運転手は「いや、もういいです」ってそのままメーターを切っちゃった。 (p633)
これも伊藤さんの言葉である。メーターを切ったタクシーの運転手、大したものであると思う。
やはり結局は他人事になってしまうんですね。私だって当事者でなければそう思っていたんじゃないかと思います。そんなの他人事なんだと。 (p730)
和田嘉子さんの言葉である。和田さんは妊娠中にご主人を亡くし、その後お子さんを出産したそうだ。
「他人事」常にそう思わない心を持っていたい。
ここにあげたものは印象に残った一部分である。もっと書きたいのだがこれくらいにしておく。
この事件はTVや雑誌の情報でしか私は知らなかった。しかし、この事件の被害者の証言をきくと、TVや雑誌で伝えられていない情報がたくさんあることに気がついた。そいう意味でもこの著作は読むべき作品であると思う。また、この事件を風化させないためにも。
この中にに登場する方々の勇気ある行動と瞬時に判断して人命を救った行動などなど、まだまだ日本人も捨てたものではないと感じた。
また、この事件で被害にあわれた方々の関東以北や関東以東の出身者が多かったことが、今回の東日本大震災と重なり合って私の心の奥底に深く残った。
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